■「あと1、2年で選手は引退するつもり。来年もう1回優勝したら、そろそろじゃないですか」
確かに、格闘家というのは極めて旬の短い職業である。
昨年、魔裟斗は、友人でもあるというハリウッドのアクションスター、ヴィン・ディーゼルの最新作「トリプルX」の試写会でこんなことを語っていた。「ずっと格闘技で食えるわけじゃないですからね。身体がボロボロになるのは嫌だし、頭を打たれて脳に後遺症とか残るのもね。将来の夢はハリウッドスター。あと1、2年で選手は引退するつもり。来年もう1回優勝したら、そろそろじゃないですか」と。
さらっと格闘技に見切りを付けて、勝ち逃げ宣言をしてしまう魔裟斗の言い分は一見唐突だが、決してうなずけないものではない。
長く格闘技の取材をやって来た経験から言うと、格闘家という職業を志す人間の動機には大別して二つのタイプがあるのではないかという気がしている。一つは王道中の王道である「競技として、スポーツとしてこの道を極めたい」という極めてストイックなもの。この原稿の冒頭に取り上げた小比類巻などはこのタイプの典型の様な選手である。もう一つの流れは何かというと、「格闘技を通して有名人になりたい」という極めて功利的なビジョンを持つタイプなのである。
実際、フランク・シャムロックやビクトー・べウフォートのように現役の格闘家でありながら、俳優としてTVドラマにレギュラー出演するイケメン自慢の選手も少なくない。日本でもボクサーの赤井英和、あるいはパンクラスの船木誠勝などは、格闘技界での実績をベースに、俳優としてのキャリアを踏むことに成功している。特に彼らの世代は俳優と武道家の両方で成功したブルース・リーという実例がある。「ブルース・リーのみたいになりたくて格闘技を始めた」という格闘技選手も多いが、引退後のキャリアとして俳優業を目指すという点でも、ブルース・リーは大いなる影響をこの業界に残している気がする。
ただ、魔裟斗の場合、そういう実在のスターに対する憧れからの発言ではないようだ。むしろ、自分の持つルックスを最大に生かした“成り上がり哲学”の実践目標に、「ハリウッド・スター」という標的が浮上してきたようである。かつて十代の頃格闘技を目指したのも、最初はその優れた運動能力を喧嘩以上に効果的に使って“のし上がる”事を考えた結果であったと言うし、実際そのハングリー精神と徹底した上昇志向がうまく噛みあった結果、魔裟斗はK-1Maxの頂点に立ったのだから、その計算に間違えがなかったのは事実だ。もし彼が、いわゆる小比類巻的な「純格闘技指向」で闘う選手であったなら、未だに全日本キックを離脱する事もなかっただろうし、おそらくその名声は格闘技界の外にまで波及しては居なかったに違いない。