だが、事情通のキックファンになると、必ずしもこの一方的な抗争終結宣言には頷いて居なかったのも事実である。なぜなら、魔裟斗と小比類巻の因縁関係は何もマスコミが無責任にでっち上げたものではなく、むしろ魔裟斗自身が言い続けたものだったからだ。
この一戦を遡ること5年。1997年5月、全日本キックのリングでこの二人は既に一度対戦したことがある。共にデビュー二戦目。二人は次世代のホープとして対戦したのだが、なんとこの時魔裟斗は小比類巻にKO負けを喫しているのである。その後全日本キックのエースに上り詰めるまで、白星街道を突っ走っていった魔裟斗だが、キャリアの出っ端に付けられたこの1敗に対して延々リベンジを主張してきた経緯があるのだ。
当時、前田憲作率いるTeam DORAGONの一員として順調にK-1中量級戦線に定着しつつあった小比類巻にすれば、魔裟斗との因縁話など「何をいまさら」であったろう。だが、この因縁話を軸にするように魔裟斗と小比類巻を中心にK-1 Maxという舞台がしつらえられ、両者の対決は見る見るうちに既定路線となっていく。元々上昇志向の強い魔裟斗にすれば、ある意味小比類巻の存在は過去の汚点であり、同時にK-1の舞台でのし上がっていくための踏み台の様な存在に見えたのかもしれない。そして、そこまで順風満帆にキャリアを積んできたはずの小比類巻の磁場は、魔裟斗の接近と期を同じくして、みるみる狂い始めていく…。
■「試合で泣くのなんて初めてじゃないですか」
このリベンジマッチを境に、両者の運命は「天国と地獄」の構図を描くことになる。
その三カ月後に武道館で開催された5月の「K-1 WORLD MAX 2002~世界一決定戦」では、日本王者となった魔裟斗に加え、主催者推薦として小比類巻もトーナメントに名前を連ねた。当然、ファンの関心は両者の再戦に寄せられるはずだったが、なんと小比類巻と魔裟斗は二人揃って準決勝で敗退。宿命のライバル対決第3章への期待はもろくも消え去ってしまう。
戦績的にはまったくのイーブン。だが、この二人の命運はここですでに微妙にすれ違いを見せはじめる。
魔裟斗はこの大会を制したアルバート・クラウスに、そして小比類巻は準優勝のタイ人ガオラン・カウィチットに敗れた。魔裟斗は同じパンチを主にして闘うクラウスとの撃ちあいに押されて1Rにダウンを奪われたものの、後半2、3Rは逆に内容的に押し気味の追撃戦を演じ、僅差の判定負け。一方の小比類巻はまたもや黒崎流のロー一辺倒の戦術にでて、逆にガオランの首相撲からのヒザに二度のダウンを喫してしまったのであった。元は試合中スリップダウンの拍子に浴びたニードロップのアクシデントによるダメージとは言え、結果的に惨敗の印象を残してしまっている。