ハングリーであることをまわりに漂わせているようなボクサーが、
これまで沢山いた。そんなボクサーで抜群と思われる人もいた。
そういう人こそが、永遠の挑戦者ということばにぴったりする。
だが彼らの存在は自分自身が光り輝くためのものではない。彼ら
は、その対蹠(たいせき)に立つ「永遠の王者=夏の光の王」の
輝きを冴え渡らせるためにこそ存在したのだ。
挑戦者の哲学を語ることは、それゆえ、真の王の哲学を語ること
にそのまま通じると言ってよい。王には帰る場所は必要ない。王
たるその場こそが彼の帰る場所であり、存在が燃焼し尽くせば、
忽然として自然消滅して天空=「あの世」へ旅立てばよいのである。
「人はなぜ闘うのか~ボクシングに見る王者と挑戦者の思想」
田原八郎(PHP研究所)より
また今年も夏が来る。
夏と言えば思い出すのは、未だに2000年の8月のことだ。
格闘技取材を始めて以来、最も熱かったあの夏。
そして、アンディ・フグが、突如居なくなった3年前の夏。
あの喪失感を、僕は今も忘れることが出来ない。
正式な第一報があったのは、蒸し暑かった一日の終わりに洪水のような夕立が襲ってきた、その宵の事だったと思う。だが、僕が最初にそのニュースを知ったのは、確かその昼過ぎにネットで流れた裏情報だった。
「アンディ・フグが白血病で危ないらしい」
本来ならありえない話であった。アンディはつい一カ月前の仙台大会で、ノブ・ハヤシを圧倒的な内容で下したばかり。そんな選手が、白血病で危篤だなどと言われても、全く実感が湧かないし、普通ありえない。なにより僕には、ファイターが現役の最中に死ぬという、不測の事態がピンと来なかったのかもしれない。理由はともかく、最初その知らせが飛び込んできたときには、不覚にも一笑に伏してしまった記憶がある。しかし、その数時間後に、K-1事務局からの「アンディ死去」の公式リリースが飛び込んできて、初めて目の前のもやが一気に取り払われた気がしたものだ。
どんな頑健なファイターも死ぬ。どんな人間も例外はない。
良く考えればこれは当たり前の話だ。だが、当時それを頭に叩き込むのは、相当の難事であった。正直いって、担がれているんじゃないかという、不謹慎な感覚がどうしても頭を去らない。しかし、半信半疑で駆け付けた日本医科大学付属病院の薄暗い講堂では、刻々と死亡を裏付ける情報が流され始め、僕はただその情報の渦の中で、目まいのような非現実感に立ち尽くしていた。残暑の最中挙行された葬儀の最中もこの非現実感は続き、同時進行で進めたアンディの追悼特集号の記事を書いている最中も、ずっと消えることはなかった。
あれから三年。
K-1の主役はすっかり、ボブ・サップやミルコ・クロコップといった新世代の選手が占めるようになった。正直、アンディが戦っていた時代が10年以上昔に思えてしまうことも珍しくない。アンディの名前もすっかり風化し、K-1関連の情報の中でも、すっかりその名前を目にすることもなくなってきた。
ただ、死の直後は、会場でもアンディ。何か晴れの席ではアンディ。K-1を巡る風景の中で、まるで神棚に祭り上げるような勢いで、アンディ回顧の流れがあったことは確かだ。実際、当時、アンディ・フグと言えば、日本で最も名の知られた格闘技選手の一人であったから、無理もない話ではあったのだが。それが故意になされたキャンペーンだったのか、自然発生的な流れであったのかは僕にも良く分からない。ただ、そのアナウンス効果は絶大なもので、すでに死の以前にかなり神格化されていた彼のストイックで美しいイメージは、白血病というその劇的な死によっていよいよ増幅されていった気がする。また、それがゆえに、類型化し消費され尽してしまうのも早かったのかもしれない。
当然、人気者としてポップアイコンと化した人間は、善かれあしかれ記号化され、飲み込みやすい糖衣錠にコーティングされて語られるのが運命というものであろう。しかし、せめて格闘技ファンには、もう少し人間としての生身の姿のアンディ・フグという人を記憶に止めて欲しい。そんな気持ちを込めて、追悼特集として、華やかなマスコミの報道ではほとんど語られることの無かったアンディの生身の姿を、彼の発言と、親しかった人々の証言から再現する企画を立ててみた。正直言って、偶像化された彼のイメージとはかなり違った物になるはずである。
参考資料として使わせていただいたのは、アンディの死後、彼の母国スイスで独自に発行され、昨年秋日本でも翻訳出版された妻イローナさんの著書「アンディズム~私の愛したアンディ・フグ」(創芸社刊 ¥2100)。出生の事情から、貧しかった少年時代、そして極真離脱事件の裏側、あるいはイローナさんとの赤裸々な関係についての記述など、生々しいまでのアンディの生き様が、ここには刻まれている。
今回の原稿は、そこに語られたエピソードや背景を元に、僕なりの解釈を加えたものである。ストイックが信条で、ともすれば傲岸で堅苦しくさえ見えたあの「鉄人」が、実は極めて人間くさい悩みや痛みを、沢山胸に抱えていた人であった事を知ってもらえれば幸いである。