その去り際に残酷な話ではあるが、“やり残したことはないか?”そう聞いてみたくなった。
「最近思うのは、船木さんの敵をとりたいということですね。ヒクソンと。…それはあくまで“もし”の話ですけどね。あんときはなぜかそんなことは思わなかったんですけども、今、なんかそんなことをふっと思いますね。これから先よっぽどのことがない限り泣くことはないだろうと自分でずーっと思ってたんですけど。船木さんがヒクソンに負けて、控室でみんな集めて“オレは引退する”って言ったときに、泣きましたねえ。それをなんか…。いまなんでだろう?最近になってそれで…敵討ちっていうと言葉がヘンかもしれないですけど、それがありますね」
ヒジが練習でも耐えられない程に壊れ、この日の引退試合でもほとんどいいところなく後輩に敗れた男が、ヒクソン戦を、それも先輩である船木の敵討ちを語ること。これほどナンセンスなことはないだろう。笑うファンも多いかも知れない。しかし、格闘技選手多しといえども、自分がなぜリングにあがり、人の顔を殴り、腕をねじ曲げてまで試合をするのか、その衝動をきちんと把握出来ている選手は少ない。そんな中、プロレスラーの強さに憧れ、その過程で“パンクラシスト”という理想型を提示されて、迷いなく凝縮された10年を貫徹できた稲垣は幸福なのかもしれない。“いまさらヒクソン”ではなく、自分自身の問題として兄弟子の敵を討ちたい、そう思い詰められる気持ちの純粋さ、まっすぐさは、“格闘家という職業”が既にあるものとなった、彼ら以降の格闘家には、あまりみられない気性である。「成功したい、有名になりたい」ではなく、この道を突き詰めたい、そう純粋に思えることの幸福と奇跡。外見にはけっして恵まれた選手生活ではなかったかもしれないが、稲垣は幸福な選手だったのだな。僕は彼の最後の選手インタビュウを聞きながらそう実感した。
「生涯一パンクラシスト」
それだけは、船木も鈴木も成しえなかった、純粋な経歴であり、今後もなかなか現れない存在であろう。タイトルにも、派手な話題にも無縁だった選手人生ではあるが、一本の道をただまっすぐに歩き続けた人間だけがもつ輝きを、この日の彼は放っていたように思う。
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