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6/30PANCRASE 稲垣克臣引退に見る男の引き際 「生涯一パンクラシスト」

10年前、パンクラスの旗揚げ大会で、第一試合でデビューした生え抜きパンクラシスト稲垣克臣が引退する。変化する時代の中に揉まれながら、自分の立ち位置を一切変えなかった男の潔さを引退の姿に見た。

執筆者:井田 英登




「扉を開けた男、幕を引く」
今大会のポスターにはそう謳われていた。
1993年9月のPANCRASEの旗揚げ戦、第一試合を闘った男・稲垣の引退試合としてこれ以上ふさわしいキャッチフレーズはあるまい。勝負論に曖昧さを残したプロレスから、ストレートな格闘技へ。大いなる変態を遂げたその「革命」を指して、当時の対戦相手であった鈴木みのるは「俺達は11番目の新団体ではなく、このスタイルでの最初の団体です」という名セリフを残した。

船木と並んで団体の顔であった鈴木の“対戦相手”に抜擢された新人選手。
稲垣のポジションは、それ以上でもそれ以下でもなかった。
当時のマスコミは「扉を開けた男」として鈴木の存在を大きくクローズアップしたものである。

だが、十年が経過して、鈴木は「このスタイル」に骨をうずめることなく、新日本プロレスへの“出戻り”によって現役続行を選んだ。一方の稲垣は、潔く現役を完結させることを選んだ。それぞれに理由があり、一概に比較することは無意味かもしれない。

しかし、単純に格闘技側からこの団体を10年間見つめてきた立場から言えば、「新しい場所」で初めてアスリートとしてのキャリアをスタートさせ、“このスタイル”のみを全うした稲垣の生き方にはいっそすがすがしいものを感じる。

「ずっと一緒でしたからね。僕が15歳で(藤原組に)入った時から。一番接した時間は長かったんじゃないですかね? 合宿所でも一緒に住んでたこともありますし。僕が15で、稲垣さんが21ぐらいですかね?クソガキが入ってきたととかやっぱり思ったと思いますし、そのころからずっと今までやって来ましたけど、二人で頑張りあいながら来れたというのはありますね。やっぱり一人だとここまで出来たのかな?とも思いますし。」
今回、稲垣の“介錯役”に指名された國奥はそう語る。
「今日の稲垣選手は自分の道場のある大阪ということで、その回りの人たちの声援に囲まれて、ものすごく集中した稲垣選手だったなと思います」

談だが、時にこの國奥や稲垣のちょっとした表情が、妙に船木に似ているなと思うことがあるのである。普段はさほどでもないのだが、あるとき何かを思い詰めたような表情を彼らが見せるとき、何故かその上には、彼らの精神的支柱であったろう船木の面影がオーバーラップするのである。そのことに具体的に何か意味があるとはまったく思わないのだが、不思議とそう感ずることがある。きっとそれは彼らが、当時藤原組の道場で、リアルファイトの夢を熱く語る船木のヴィジョンに強く感化されたからではないだろうか。人生の一番多感な時期に、それだけ強い言葉を毎日聞かされれば、なんらかの影響が残るものではないだろうか。憧れや理想は時に人の容貌にまで影響を及ぼすような気がしてならない。無論、何の根拠もない話だが。

[PANCRASE]「2003HYBRID TOUR 」

 2003年6月22日(日)
 梅田ステラホール大会



 メインイベントミドル級 5分2R
 ×稲垣克臣(パンクラス大阪)
 ○國奥麒樹真(パンクラスism/2位)
 1R 4'10"チョークスリーパー



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