その石井館長の“創業精神”を継ぐ角田プロデューサーは、唯一内部的にこの状況に苦言を呈する立場にいる。今回の騒動に関しても彼は、こうやって怒りを表明している。

「もう、苦々しい限りですよ。やった人間はもちろん、呼んだ人間、連れて来た人間、全部含めて。もうこれは、追放ですね。これは競技の側としてね。ルールは守って当然なんですけども、K-1の聖域を汚すような奴は、ホントに目の中指突っ込んででも引きずり降ろしますから。僕らは相撲の行司が刺し違えたら切腹する覚悟でね、短刀を腹に忍ばせてるのと一緒で、ほんとに、何かあったら全部僕らの責任なわけなんですよ。なので、体張ってでもあのリングは守る、それしかないから、今後は(ジャパン軍の指揮官のような立場ではなく)そういう(=競技統括の)ポジションに専念できるようにしていただきたいと。」

まったく、おっしゃる通りである。
逆に言えば、それだけ強い意志をもって、このイベント自体を“こういう形にしたい”というビジョンを提示しなければ、誰もその後には付いてこないのではないか。あえて角田氏の熱意を正面から受け止めて提言するなら、今の谷川/角田二枚看板のプロデューサー分業体制は、体のいい逃げになってしまっているので即刻廃止すべきだと思う。双頭体制=最高責任者不在でしかないのだ。

石井館長時代、K-1があれだけの発展を見せたのは、あくまで誰がトップであるかが明快であり、その指導者のデザインにしたがってK-1全体が一丸となって動いたからではないか。ならば、角田氏、谷川氏どちらがトップになろうとかまわない。とにかく「リングで起きることの責任は全部オレが取るから、思い切って闘ってこい」そう言える人間がトップに立つ必要がある。

角田氏には俳優・タレント業、谷川氏にはSRS-DX編集長という、「本業」が残されている。石井館長収監という非常事態を受けて、緊急的にシフトしたのだから、当然それらを兼任するのはこれまでは仕方のない事だったかもしれないが、これだけの不手際、不始末が表面化している今、誰かが人生を賭けてK-1を守ると宣言しない限り、第二第三のモンターニャは現れるし、トラブルは終わらないに違いない。

その意味で、今適任と言えるのは何と言っても、競技として“かくあるべきK-1像”を明快に持っている角田氏がトップに立つべきではないか?

「結局ね、なんで僕が消火器の時(=TOAの会見での乱闘)に怒ったかということですよ。ああいうことやってると、試合見て『あぁ、あぁ』と思う人は思うんですよ。やっぱしみんなそういう目で見たら、なんぼ僕らが『違います』って言ったって、半分は『そうか』と思っても、半分の人は疑いますからね。僕は虫酸が走るぐらい嫌いなんですよ、そういうのが。K-1というリングでは。だったらK-1というタイトル外して、何でもやったらいいじゃないですか。僕らも適当に、レフェリーだってレッドシューズ・ドゥーガン(70年代に活躍したプロレスのレフェリー)みたいにやりますから。選手の上飛び越えてでも僕カウント取りますよ。だけどK-1と名の付くものをやる以上、誰が何と言おうと僕はそこは絶対に譲りません。それはなんでかというと、プライドやから。K-1という格闘技を僕らが作って来た誇りですから」とまで断言するならば、角田さん、あなたが人生を賭けて競技としてのK-1を守って欲しい。そうすれば、イベント担当の谷川氏は一歩下がった立場から、角田氏のビジョンを支える仕事に徹することができるだろうし、今のような迷いの中で、館長の従来のやり方を踏襲することに腐心する必要もなくなる。