とはいうもののUWFの蒔いた種は確実に日本に、リアルスポーツとして格闘技が定着するための地ならしをしてくれました。UWFによって掘り起こされた格闘技需要は、そのマーケットを狙う後発団体に引き継がれてより巨大化しましたし、当時UWF戦士に憧れた少年たちが次々に格闘技関連のジムに入門したため、ファイター人口も爆発的に延び、そのことが後の格闘技ブームを支える有力な選手を産んだのですから。
しかし、実際にスポーツとしての格闘技がプロフィールドで展開されるようになったのは何時かといえば、それは1993年だと明快に答えることが出来るでしょう。この年、格闘技界には時代を変えるような三つの動きが、同時多発的に勃発したのです。
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また優勝賞金25万ドルという壮大なスケール感や、フジテレビとがっちり手を組んだメディア戦略など、メジャースポーツに匹敵するきちんとした競技の輪郭をそなえたイベントとして、いきなり「正解」をファンに突き付けてきたわけです。
さらにリングの上にも衝撃が待ち受けていました。ピーター・アーツ、モーリス・スミス、アーネスト・ホーストといった淙々たる面々を押さえて、クロアチアの無名選手ブランコ・シカティックが優勝を遂げた展開は、真剣勝負の意外さ、そしてスポーツとしての爽快さをファンに強く焼き付けたのです。
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そして最後に控えた波が11月のUFCの開催でした。おそらくこれはこれまで格闘技界になかった最大の大波となりました。それはこの大会の企画者でもあった、グレイシー一族による格闘技世界征服作戦の第一波だったからです。
(この項終わり:次回に続く)