北海道を愛し熱く語る男、岩本賢一
2006、2007年と2年連続シリーズ制覇を果たした北海道日本ハムファイターズ。活躍の陰には、岩本賢一の活躍があった |
彼と初めて会ったのは01年、阪神からFA宣言した新庄剛志外野手がニューヨーク・メッツと契約し、その通訳に抜擢された時だ。92年に渡米し、オレゴン州立大などでトレーニング学を学び、98年からメッツ傘下のマイナーチームでトレーナーとして働いていたが、同じ日本人で英語が堪能ということで、まさしく抜擢されたのである。
ご存知のように新庄は飛び抜けて明るいが、時に何を言っているか理解しづらい男。一方、岩本氏は「チョー」が付くほどの真面目人間で、どちらかというと暗いタイプ。2人は果たしてうまくいくのかと周囲は心配したが、非常にウマが合った。それは「野球」に対する情熱が同じくらい強かったからか、と今になっては思う。翌02年に新庄がジャイアンツへトレードされ、代わりに小宮山悟投手がメッツのユニホームを着たが、この2人は性格も真面目さもそっくりで、別の意味でウマが合っていた。
ファイターズが北海道移転。近づく憧れの風景
実はこの岩本氏、新庄と小宮山の通訳を務める前は、マイナーチームのトレーナーだったと書いたが、それは仕事のごく一部であり、営業からチケット販売、マスコット人形の中に入ってパフォーマンスするなど全ての裏方をこなしていた。それは意図的だった。「将来、野球の球団経営に携わりたいんですよ。そのためには何でも知っていなければいけないでしょうから、何でもやりました。北海道に球団ができたら最高だし、もし、そこで働くことができたらこんなに嬉しいことはないですね。ええ、僕の夢です」
こう熱く語っていた岩本氏に、意外にも早く夢が現実のものに近づいてきた。まさにふって沸いたという表現がぴったりだった。
小宮山の通訳をしていた02年、ファイターズの北海道移転のニュースを知った。北海道旭川市に生まれ、旭川北高を卒業した道産子は、いてもたってもいられずに、すぐさま履歴書を送っていた。その熱意が通じ、ヒルマン新監督の専任通訳の職を得た。