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勤勉の果ての栄光 レオン&デレク・リー親子(2ページ目)

レオン・リーがロッテと契約したのは1978年。10年日本でプレーし、通算打率.308、268本塁打、884打点をマークした。息子デレク・リーは米野球界でスーパースターに成長。そこには日本野球界で得たものがあった……。

瀬戸口 仁

執筆者:瀬戸口 仁

野球・メジャーリーグガイド

いつしか米野球界のスーパースターに

月日は過ぎた。デレク・リーは94年のメジャーリーグのドラフト1巡目(全体の14番目)でサンディエゴ・パドレスに指名される。驚いた。さっそくレオンに電話すると弾んだ声が返ってきた。「カリフォルニア州サクラメントの自宅に帰って来て、バスケットと野球の両方を続けてきたが、野球を選んでくれて本当に嬉しいよ」。97年4月28日のフロリダ・マーリンズ戦でデレクはメジャーデビューを果たす。息子が自分を超えてくれて、父親の喜びは格別なものとなった。

デレクは一躍、スーパースターへの道を歩き出す。97年オフにマーリンズへ移籍。98年に17本塁打、74打点をマーク、00年は158試合に出場し、打率.281、28本塁打、70打点を記録した。02年は球団史上2人目の全試合出場を達成し、03年にはワールドシリーズへ出場して世界一メンバーとなり、初めてゴールドグラブ賞(一塁手)を受賞した。03年オフにシカゴ・カブスへ移籍。05年はオールスター戦に先発出場、打率.335で首位打者を獲得し、2度目のゴールドグラブ賞も受賞した。

日本で学んだことと、追い続けた父の背中

三冠王の可能性もあったその05年、ニューヨークへ遠征に来た際にヤンキーススタジアムでデレクと久しぶりに再会し、話す機会を得た。その時、とても興味深く、日本人として嬉しい話をきかせてくれた。デレクはこう言った。

「今、こうしてメジャーでプレーできているのも日本での10年間のおかげだと思っているんだ。毎日のように父に連れられて球場へ行き、練習に参加したり試合を観たりしたけど、日本人、日本の野球環境から学んだことが2つある。1つは、練習から非常に真面目に取り組むことの大切さ。もうひとつは、試合中にあれだけうるさい応援を受けながらも野球をする集中力だよ(笑)。

アメリカの場合、試合前の練習は短いし、試合で本気を出せばいいと練習を軽視しがちなところがあるけど、それは間違いで、練習から得るものはたくさんある。また、試合中の打席や守備位置での集中力はとても勉強になった。アメリカは日本ほどうるさくないからね。今でもこの2点に注意しているし、取り組んでいるんだ」

子供は親の背中を見て育つというが、レオン&デレク・リー親子はまさに典型だろう。たとえ最初は親の仕事に興味がなかったとしても、真面目に働く親の背中を見せることによって、いつしか息子も親に魅せられていく。日本人の美徳、勤勉さをもって野球に取り組んだレオンが、デレクを黙って球場へ連れて行ったことは間違いではなかったと今さらながら思う。



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