「勤勉さ」をもって野球に打ち込んだレオン・リー

デレク・リー
日本球界で活躍したレオン・リーの息子、デレク・リー。2度のゴールドグラブ賞獲得など、米野球界のスーパースターに
父親にとって息子の成長は何よりの楽しみだ。自分より大きな人間になってもらいたい、成功してもらいたいと願うのも当然だろう。しかしながら、なかなか親が思うような子育てができないのも確かである。ロッテ、大洋(現横浜)、ヤクルトで活躍し、最強の”助っ人”外国人選手の1人といわれたレオン・リー内野手は、息子に自分の背中を見せ続け、自分を超えさせた代表格だ。

ドジャースでプレーし、ロッテに入団した元メジャーリーガーの兄レロンに誘われて、レオンがロッテと契約したのは1978年のことだった。メジャーどころか2Aまでしか経験がなかったレオンがその後、10年も日本でプレーし、通算打率.308、268本塁打、884打点もマークしたのは、その真面目な性格のおかげだった。変化球が多い日本のピッチャーに対応するため、つねにステイバック(軸足に体重を残す)を心がけて体の突っ込みを抑え、パワーを最大限に生かすことに必死に取り組んだ。もちろん、相手投手の研究も怠らなかった。ある意味、日本人らしい真摯勤勉な態度で野球に打ち込んだことが日本での成功につながったのである。

父の背中を見て、日本で育った息子デレク

父レオンが1978年来日した時、息子デレクは2歳だった。横浜に住み、横浜のインターナショナルスクールへ通い、12歳(父がヤクルトを解雇された1987年)まで日本で過ごした。その間、父は息子をできる限り球場へ連れて行った。川崎球場、横浜スタジアム、神宮球場……。息子は試合前の練習では率先して球拾いを行い、試合が始まるとネット裏で父を応援した。

デレクが確か9歳になった頃だと思う。私は神宮球場で彼とキャッチボールをしたことがあるが(後年、アメリカで再会した時にそのことを尋ねると、まったく覚えていないとの返事(苦笑))正直、へたくそだった。その当時、「デレクを将来、野球選手にしたいのか?」とレオンに聞いたことがある。「うん、僕はそうしたいんだけど、今はバスケットボールに夢中なんだ」とちょっと寂しそうに答えてくれたことを覚えている。

>>デレクが追い続けた父親の背中>>