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戦力外通告から大逆襲を果たした戦後初の三冠王

戦力外通告を受ける理由は様々だが、いずれにしても、その球団を去らなければならない。だが、若いうちに戦力外通告を受けたにも関わらず、しぶとく生き残り、その後、歴史に名を残すほどの大成功を収めた男がいる。

瀬戸口 仁

執筆者:瀬戸口 仁

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戦力外から歴史に名を残すほどの大成功を収めた選手とは

若いうちに戦力外通告を受けたにも関わらず、しぶとく生き残り、その後、歴史に名を残すほどの大成功を収めた選手とは。

若いうちに戦力外通告を受けたにも関わらず、しぶとく生き残り、その後、歴史に名を残すほどの大成功を収めた選手とは。

今年も嫌な季節がやって来た。戦力外通告。通告を受ける理由は様々だが、いずれにしても、その球団を去らなければならない。年齢的に現役引退を余儀なくされる選手ならまだしも、まだまだやれる年齢で故障がなければ、トライアウトを受け、現役続行を熱望するのは当然だろう。

しかし、他チームのユニホームを着て、現役を続けられるのは、ほんの一握りというのが現実だ。

今年も、実績があり、名のある多くの選手たちが戦力外通告を受けた。越智大祐投手(巨人)、岩村明憲内野手(ヤクルト)、中村紀洋内野手(横浜DeNA)、小田幸平捕手(中日)、G.G.佐藤外野手(千葉ロッテ)、岡島秀樹投手(ソフトバンク)……。G.G.佐藤以外は現役引退を表明しているわけではないため、新天地へのチャレンジをしていく。

新球団に拾われて、息を吹き返した選手は多い。だが、若いうちに戦力外通告を受けたにも関わらず、しぶとく生き残り、その後、歴史に名を残すほどの大成功を収めた男がいる。野村克也氏だ。

1954年、野村氏は南海に契約金0円でテスト生として入団した。捕手層が薄く、高齢化していた南海なら一軍のレギュラーになりやすいと考えたからだ。ところが、当時の南海は鶴岡一人監督の下、毎年優勝争いを繰り広げていたため、出場機会に恵まれない。結局1年目は9試合で11打数ノーヒットに終わり、シーズンオフにマネジャーに呼び出され、戦力外通告を受けてしまった。

>>しかし、そこから野村氏の“逆襲”が始まる

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