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戦力外通告から大逆襲を果たした戦後初の三冠王(2ページ目)

戦力外通告を受ける理由は様々だが、いずれにしても、その球団を去らなければならない。だが、若いうちに戦力外通告を受けたにも関わらず、しぶとく生き残り、その後、歴史に名を残すほどの大成功を収めた男がいる。

瀬戸口 仁

執筆者:瀬戸口 仁

野球・メジャーリーグガイド

猛烈アピールで残留、そして戦後初の三冠王へ

幸運の女神はどこにいるかわからない。秋季キャンプが始まると、正捕手が交通事故、2番手捕手がトレード、3番手捕手がケガ(頭部に死球)を負い、いきなり捕手不足となった。すかさず野村氏は担当マネジャーに「もしここでクビになるようなら生きていけません。南海電鉄に飛び込んで自殺します」と猛烈なアピールをし、残留を勝ち取った。そのマネジャーからは「お前のようなやつは初めてだが、若いうちなら人生はやり直せる」と逆にエールをもらった。

その後の活躍はもうご存じだろう。1965年に戦後初の三冠王に輝いた。首位打者1回、本塁打王は8年連続を含む9回、打点王も7回獲得し、MVP5回、ベストナイン19回、ダイヤモンドグラブ賞1回、オールスターMVPを2回手にしている。監督としても南海を皮切りに、ヤクルト、阪神、楽天と歴任し、ヤクルト時代に日本一に3度輝いている。

野村氏の場合、戦力外通告からの逆襲を果たすため、その努力が半端ではなかった。肩が弱かったため、砂を詰めた一升瓶やテニスボール、鉄アレイなどを使って筋力を鍛え、遠投で肩を強化した。当時はまだタブー視されていたウェイトトレーニングをいち早く始めた。また、テッド・ウィリアムズの著書『バッティングの科学』の中にあった「投手は球種によりモーション時にクセを見せる」という一言をきっかけに投手のクセを研究するようになった。また、データの収集・活用に力を入れ、ID野球を確立したのだ。

戦力外通告。これをチャンスと捉えられたらこの上なく強い。
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