決して忘れることができない「ドーハの悲劇」
もう10年以上前になるが、1993年、カタールのドーハにある収容人数1万人のアル・アリ・スタジアムで起きた「悲劇」は、日本サッカーを語る上で決して忘れることはできないだろう。この年にJリーグが開幕した日本は、アメリカW杯アジア予選1次予選F組を1位通過。10月には、W杯最終予選がカタールの首都ドーハで行われた。
この最終予選は、1次予選を勝ち抜いた6チームの総当たりリーグ戦で、上位2チームがW杯出場権を得るシステムだった。日本は4試合を戦い、勝ち点5でサウジアラビアを得失点差で抑えて首位に立っており、最終戦のイラク戦を残し、勝ちさえすればW杯初出場が決まるという状況だった。
対イラク戦の前半、長谷川健太のシュートがバーに当たり、リバウンドをカズがヘッドで押し込み1-0とした。55分に日本は追い付かれ1-1されるが、69分にはラモスのスルーパスに中山が飛び出し2-1とリード。
そして、ロスタイムを迎えた。イラクがCKから、ショートコーナーを選択し、クロスを上げる。そのボールに、オムラム・サムランがヘディングで飛び込んだ。ボールは無情にも日本のゴールの左隅に吸い込まれた……。日本イレブンは、しばらくピッチの上で崩れ落ちて立ち上がることができなかった。
GKの松永成立がボールを目で追う姿が、今でも脳裏から消えることはない。