「決してあきらめない男」ラモス瑠偉
日本代表ベストゲームにも数えられる1992アジアカップ広島大会。ラモスを中心に勝利を勝ち取っていった |
1977年、20歳の時にブラジルのサンパウロから日本の読売クラブ(現ヴェルディ)へ入団。Jリーグ創世前の日本リーグ時代のサッカーを支えた人物の1人である。 1989年に日本国籍を取得してからは代表の中心選手としても活躍。特に、日本がW杯初出場の切符を目前で逃した「ドーハの悲劇」は印象に残っている人も多いだろう。
1998年に現役引退した直後は、フットサル日本代表としてもプレー。その後は沖縄かりゆしFC、柏レイソル、ヴェルディで指導者となり、選手に檄を飛ばし続けてきた。
サッカーに対する情熱が人一倍強いが故に、時折激しい言葉で批判をして物議を醸すことも少なくなかった。しかし、どんな劣勢な状況でも最後まであきらめない姿勢。そしてヴェルディ監督時代に実母が亡くなったときも、誰にも言わずに指揮を執り続けた精神。「大和魂」の持ち主であり続けるのがラモス瑠偉なのだ。