ブラジルからポルトガルへ
インド出身の祖父を持つデコは、攻守に渡ってチームの要となっている。(CC) |
しかし、ベンフィカのフロントはデコの才能を高く評価しておらず、2部のアルベルサへとレンタルする。そこで彼は32試合で13ゴールの活躍を見せる。だがそれでもベンフィカはその次のシーズンもクラブに戻さず、今度はサルゲイロスに移籍させた。
そこでのプレーに目をつけたのはベンフィカのライバルFCポルトだった。1999年1月の移籍市場でデコを獲得することになる。
モウリーニョ監督とつかんだ栄冠
FCポルトに入団すると、すぐにその才能を開花させ、ファンはその華麗なボールタッチからデコを「マジコ(魔法使い)」と称賛した。「ヌメロ・デス(背番号10)」をつけたデコは、天賦のプレイメーカーとしての役割以上に、守備的プレーに努力を惜しまなかった。そのためか、ゴールやアシスト以上にイエローカードの数も多かった。
2002年、監督に就任したジョゼ・モウリーニョは、デコを「間違いなくワールドクラスの選手だ」と見抜き、彼に司令塔としての役割を存分に与えた。
リーグ戦では30試合で10ゴールを挙げたが、その反面17枚のイエローカードと1枚のレッドカードももらった。しかし、チームは2003年、セルティックを3-2で破りUEFA杯を制する。
そして、翌2003-04シーズン、FCポルトはリーグタイトルを獲得するだけでなく、決勝でASモナコをデコの1ゴールを含む3-0で下し、チャンピオンズ・リーグのタイトル獲得に貢献し、UEFAシーズンMVPを獲得した。
ポルトガル代表として、母国と対戦
昨夏のツアーに引き続き来日のバルセロナはCL王者の貫禄を見せつけられるか |
相手は奇しくも自分が生まれ育ったブラジル。デコはわずか8分間の出場であったにもかかわらず、ゴールを決め、1966年W杯以来のポルトガルのブラジルからの勝利をもぎ取ったのである。
以降、ルイス・フィーゴら選手たちの批判に対し、スコラリ代表監督は、「私がデコを選ぶ理由は技術的なプレーの高さだけでなく、目的を達成するための決定力があるからだ。彼は必要な選手なのだ」とデコを代表レギュラーに定着させた。
その期待に違うことなく、デコは2004年欧州選手権準優勝。2006年ドイツW杯ではポルトガルを1966年以来の決勝トーナメント進出に導き、準決勝まで駒を進めた。
バルサの“バロメーター”
2004-05シーズンからバルセロナに移籍したデコは、2005-06シーズンは再びCLのビッグイヤーを獲得。ポルト時代に続いて2度目のUEFAベストMF賞も受賞した。現在、デコは「バロンドール」受賞者のルイス・フィーゴを抜いて、2度のチャンピオンズ・リーグ優勝などポルトガル最高のタイトルホルダーとなった。「デコは無口だけど、みんなの話をよく聞いている」とチームメイトのリオネル・メッシが言うように、普段は物静かなこのバルサ唯一のポルトガル人選手は、チームにとって欠くことのできない存在となっている。
「デコはバルサのバロメーターだ。彼の調子は良ければチームのゲームの質が向上するし、コンディションが悪ければ、チームの全体のパフォーマンスが下がってしまう」とバルセロナのフランク・ライカールト監督はそうデコを評している。
誰かにぶつかると軌道が変わる「リフレクトミドル」など、確かに個人技だけをとってもデコは卓越している。だが、ロナウジーニョやエトーに供給するパスや、ときにはカードをもらうリスクをいとわず相手FWへのタックル。デコの真骨頂はやはりバルサの「屋台骨」を支えるひとつひとつのプレーにある。
横浜でも、この「最高のゲームメーカー」がボールを持ったら、その行方を見逃すことはできない。
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