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クールベ、マネ 近代美術のはじまり(3ページ目)

フランス革命、産業革命などの影響のもとに、独自の絵画を生み出したクールベとマネ。近代美術の始まりとされている2人を中心に紹介する「巨匠で見るアート」第4回。

執筆者:橋本 誠

生身のヌードを描いたマネのスキャンダル

草上の昼食
エドゥワール・マネ《草上の昼食》1863年
オランピア
エドゥワール・マネ《オランピア》1863年
ウルビーノのヴィーナス
ティツィアーノ・ヴェチェリオ《ウルビーノのヴィーナス》1538年
パリ万博では、1839年に発明され、改良が重ねられていた写真技術(※)やそれらを利用した作品も紹介されていました。現実の世界をありのままに描写する写実主義に限らず、絵画には写真とは異なる表現が求められるようになっていきます。
※ダゲールにより発明され、1839年に発表されたダゲレオタイプが世界初の実用的写真技法だとされている。

そのような中で登場したのがエドゥワール・マネ(1832-1883)でした。マネは、写実主義のクールベに感化され、現実の世界を描く対象にしましたが、「如何に描くか」といったことを模索しました。

1863年、当時定期的に開催されていた公募展「サロン」の落選展にマネは《草上の昼食》を出品。大スキャンダルをまきおこします。川辺で昼食をとる紳士と裸婦の姿がモチーフですが、当時この様に現実の風景の中に裸婦を描くということは不謹慎だとされていたからです。

それまで絵画に描かれる裸婦というものは、あくまで人間の姿を借りた神であり、生身の女性ではありませんでした。よって描き方もアングルの描いた裸婦のように美しく理想化され、シチュエーションも現実離れをしたものだけが許されていたのです。

人の目に映る映像に限りなく近い、現実的な表現をもって描かれた裸婦の姿は当時の人々にとっては大きなショックだったのです。

また、《草上の昼食》が発表された2年後に「サロン」に出品された《オランピア》も大きな話題を呼びました。恥らうことなくこちらを見つめる女性は、身につけているものや一緒に描かれた黒人の召使いなどからも、娼婦であることがうかがい知れます。

作品の構図をティツィアーノ・ヴェチェリオ(1488-1576)の作品《ウルビーノのヴィーナス》に求めつつも、描かれる対象が俗的なものにすり換えられている大胆な作品です。

ちなみに、作品の構図については《草上の昼食》もティツィアーノの《田園の奏楽》などを参考にしたと言われており、マネは美術史に着想を求めることをした最初の画家だとも言われています。

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