別名義で書かれた"新たな代表作"
洋画家が生涯を賭した"秘められた恋"を背景に、約半世紀の間に起きた3つの不可能犯罪を描く。恋愛小説と本格ミステリーを融合させた傑作だ。 |
ちなみに牧薩次は「東京生まれ。東西大学文学部を卒業して、推理作家の道を歩むことになる。本格ものを志すがなお道半ば。文英社主宰の第1回みすてり大賞を受賞した」推理作家でもあり、辻は「薩次とぼくは二重胎児なのです」と述べている(牧薩次は辻真先のアナグラム)。辻が"牧薩次"名義で発表した『完全恋愛』は、要するに"牧としての辻"のデビュー作なのだ。
洋画界の巨星・柳楽糺は幼い頃に空襲で両親と妹を亡くし、福島県の温泉村にある旅館に引き取られた。彼はそこで画家の娘・小仏朋音に出逢い、一生を賭けて彼女をひっそりと愛し続けていく。こう書くと地味な恋愛小説に見えるかもしれないが、本書はトリッキーな本格ミステリーでもある。駐留軍の将校を刺殺した凶器が消えた謎、テレビ中継で予告された"2300キロ離れた遠隔殺人"の謎、ある人物が同時に2つの場所に現れた謎――1945年、1968年、1987年に起きた3つの不可能犯罪を通じて、柳楽の生涯を辿っていくという重層的な構造になっているのだ。
本書の素晴らしさは、密やかな"完全恋愛"を綴った恋愛小説にして、戦後史を概観する年代記にして、大胆な趣向を凝らした本格ミステリーにも成り得ていること――しかも全ての要素がハイレベルだという(驚くべき!)事実にある。さらに注目すべきは、濃厚な人間ドラマと謎解きが併置されるだけではなく、互いに強く関連していることだ。人間は心があるからこそ罪を犯すという前提と、読者の好奇心を刺激するような不可能犯罪。この両者を融合させた著者の力量はまさしく絶賛に値する。75歳にしてなお大量のアニメや漫画に接し、能動的な活動を続けている(今度はケータイ小説に挑戦するらしい)著者はもはや超人と呼ぶべきだろう。今後の活躍にも大いに期待したいところである。
【関連サイト】
・辻真先……というミステリやアニメやエッセィを書いている人のホームページ…辻真先の公式サイト。著者の近況報告やエッセイなどが掲載されています。