『ライス・マザー』
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■「母」として一族に君臨した女性の一代記。だが、一方的な「母性賛歌」にはあらず

 マレーシアの新星による壮大なファミリー・サーガ。日本軍がマレーシアに侵略した激動の時代をたくましく生き抜いた一人の女性の一代記でもある。

 1916年、セイロンで生まれたラクシュミーは、14歳で37歳の男と結婚されられる。イギリス支配下のマレー半島の村で、彼女は、六人の子を次々と生む。男女の双子として生まれてきたラクシュマンとモイニ。次女・アンナ、次男・セヴェニス、三男、ジュアン、三女、ラリタ。夫は、ラシュミーが考えていた以上に貧乏だったが、彼女は、持ち前の勤勉さと機転で生活を繰り開いていく。裕福と呼ぶにはほど遠いが、平穏な幸せに満ちた家族の生活。その中心にいたのは、絶世の美貌をもって生まれた長女・モイニだった。日本軍が侵略してきて、平和な暮らしは、日本軍の侵略によって破壊される。家族中の掌中の珠であったモイニが、日本軍の兵士に蹂躙され、命を落としたのだった。
 モイニの死後、家族それぞれの心の内に、それぞれの「怪物」が棲みついてしまう。その「怪物」の呪いは、成人した子どもたちにもラクシュマン、ジュアンの結婚生活は破綻し、夫は、生気を亡くし、ラクシュミーも自らも頑固で孤独な老人になってしまう。そんな彼女の心の支えは、亡きモイニの面影を宿す孫娘ディンブル。ラクシュミーは、彼女に自身の物語を語り始める。ところが、浪費家の母が羨む富豪との結婚生活を始めたディンブルの身に思いもかけぬ不幸が・・・。

 女主人公の孫娘にあたるディンブルが一族の物語をテープに取るという形式を取っているが、 複数の語り手によって、一家の物語が立体的に織り上げられていく。だが、どの語り手にとっても、ラクシュミーというひとりの女性は、よくも悪くも、徹頭徹尾「母」である。

 ラクシュミーの次男で占いや原始宗教にかぶれているセヴェニスは、姪にあたるディンブルに、彼女の祖母は、「ライス・マザー」=生命の受け手だと語る。
「お祖母さんはおれたちの希望や夢を、大きいものも小さいものも、おまえのもおれのもみんな、あの力強い両手に持って、木の玉座に座っているんだ」――

 彼女は、よくも悪くも、一族の支配者だ。彼女の怒りや哀しみや切なさが、世代を超えて、この一族の運命を左右することになる。彼女は、この上なく愛情深く、この上なく、残酷でもある。この物語は、母性賛歌でもあり、母性に対する抵抗の物語でもある。世界を二元論的にとらえないアジア的な立ち位置で語られる物語だと言えるだろう。
さて、現代日本の文芸シーンではさほどでもないが、世界の文学の系譜においては、ファミリー・サーガや女性の一代記は、定番である。言い換えれば、テーマとしては、さほど目新しさはない。この物語の魅力、生命線は、別のところにあるのだ。