07年より『HOUSE NATION(ハウスネーション)』に参加
YUMMY 私は師匠がいなかったので、好きなレコードをジャンルを問わずかけてた感じですね。例えばレコードを買いに宇田川町へよく行っていたんですんけど、視聴して、いいなと思ったレコードを無作為に買っていました。BPMとかもバラバラで、中心はエピックトランスだったんですけど、いま思えばプログレッシブハウスとか、ボーカルハウスとか、そういうものも並行して買っていました。それをプレイの中でも、最初と最後で雰囲気が違うというか、流れを作る中でもジャンルにとらわれることなく自由すぎるほど好きなようにプレイしていましたね(笑)。
ーーはっは~、プレイも男勝りだったワケですね。なのに自然とトランスのDJのようにプレイに物語が出来ていたと。優しいモーニングトラックっぽい曲でシメる、みたいな(笑)。
YUMMY そうです(笑)。トラックでひたすら何時間もハメるタイプではなくて、ダウンビートから始まって、ハウス、プログレッシブハウス、テクノ、シメでトランスみたいに。人前でプレイする機会が少なかったから、家でミックステープを作ったりとか。60分の中で自分なりに表現をしようともがいてましたね。今思えば完全に自己満足の世界だったかもしれませんね(笑)。
ーーワハハハ! 家でミックステープを作っている女子高生なんて、完全に危ないコだ(笑)。
YUMMY ねぇ? 周りは彼氏だ、合コンだって騒いでいる時期に。
ーーでは、ズバリ聞きますけど、DJを商売にしようと思ったのはいつ頃からですか。
YUMMY 昔、ヴァイオリンの方と一緒に『エンジェル』というユニットを組んで、
インディーズですがダンスミュージックのアーティストとして活動していました。辞めてからはあくまでもDJはジレッタント(※好事家の意)として続けていて。シーンのためになることはあっても、必ずしも仕事にする必要はないなって思っていたんですけど…。
ーー2004年にスタートしたストリングス・ユニット『angels』ですね。当時はDJ YUMI名義で活躍されてました。
YUMMY そう。自分は恵まれてるなって思うことがたくさんあります。そのまま趣味でありながらもストイックにDJを続けていたら、またエイベックスさんに声をかけてもらって『ハウスネーション』に参加させていただくことになって、そのポップスを主に聴く層や若い人達の心を掴むダンスミュージックというコンセプトに賛同したので協力したいと思いました。で、『WOMB(ウーム)』みたいに大きな箱でプレイさせていただく機会が増えて、今ようやく個人でもオファーもいただけるようになったし。16才でDJのキャリアをスタートさせて7年間、自分なりに続けていたDJの経験を生かす方向で何かいろいろ出来そうだなって思うようになったんですよね。それが今年の始めくらい。それからDJが自分の生活の中心になって行きました。