“デューク”の愛称で親しまれ、数々の名作を残した往年のハリウッド映画のヒーロー「誇り高き男」と言われたジョン・ウェインの今年(2007年5月26日)が生誕100年です。カンヌ国際映画祭でも特集プログラムが組まれたほど、世界中がその魅力を再確認する気運に盛り上がっています。今回はそのジョン・ウェインという偉大な男が、如何なる映画人生を歩んできたのかを探ります。

ジョン・ウェイン、ヒーローへの道

駅馬車
1939年/アメリカ映画/上映時間:99min/ジョン・フォード監督、主演ジョン・ウェインの黄金コンビによる不朽の名作『駅馬車』
1907年5月26日、アイオワ州ウィンターセット生まれ。薬剤師の父親が健康を害したことで、家族はカリフォルニアに移住します。

高校時代のジョン・ウェインは、フットボールの花形選手として活躍。彼の飼い犬の名から「デューク」の愛称が付きました。 進学は海軍兵学校を志望するも不合格となって、南カリフォルニア大学に入学しフットボールを続け、コーチの紹介でフォックス社の雑用のアルバイトをはじめます。

ある時、ジョン・フォード監督が撮影していた潜水艦映画で、専属のスタントマンが断ったスタントをこなしたことからジョン・フォードの目に留まり、小道具係り、スタントマン、動物の飼育係、群集シーンのエキストラなどあらゆる仕事をこなすようになります。

大学は中退し、フォックス社が生活の表舞台となります。そして最初のクレジット入り映画はラオール・ウォルシュ監督の『ビッグ・トレイル』でした。ウォルシュがアメリカ独立戦争での将軍、「マッド・アントニー・ウェイン」から取ったジョン・ウェインの芸名を彼に与えました。

大作『ビッグ・トレイル』(30)は大恐慌の影響を受けて興行的に惨敗、フックス社をおわれ、スタジオを転々としながらB級映画に出演することになります。その後、B級映画専門のモノグラム社と契約を交わし、1938年までに28本のB級西部劇に出演します。

アーネスト・ヘイコックスの短編小説『駅馬車』(39)の映画化を進めていたジョン・フォード監督は、アンチヒーローのリンゴ・キッド役にジョン・ウェインを抜擢。フォード監督の厳しい指導のもとで孤高のヒーローを見事に演じ、興行的な成功と共に作品の評価も高く、一躍スターダムに駆け上がり、俳優ジョン・ウェインは黄金期を迎えることになります。

■注意:
往年の西部劇には「インディアン」がしばしば敵役として登場することがあります。初期のハリウッド映画では専らフロンティアスピリットとして白人開拓者が善として描かれた所以です。英語のIndianは北米と中南米の先住民族を分けずに両方をさすことが多いのです。西部劇のインディアンはアメリカの先住民族のことです。現代では、ネイティブアメリカンとして英雄視されるようになってきています。初期のハリウッド西部劇をご覧になられて、誤ったイメージを刷り込まぬようにしてください。


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