少年ラティフを演じるのは、12才の時にマジッド・マジディ監督(『運動靴と赤い金魚』)の『父』(‘95年)に出演していたホセイン・アベディニ。現在は、学校に行きながら果物店勤務をしているという。
そしてラティフが献身的な愛を捧げる少女バラン役には、地元の高校生ザーラ・バーラミが抜擢された。マジディ監督が彼女を見つけたのは、ロシアとアフガニスタンの国境付近にある難民キャンプでだった。バーラミは、このキャンプで生まれ、15年間、一度もここから外へは出たことがないという。彼女にとって、バーラミ役は映画の中の作り話ではなく、自分自身の問題と重なり合っていたことだろう。だからこそ意志の強い目の輝きが出せたのだ。バーラミ演じる少女は、一言も口をきくことを許されない状況にいる。それは、「自らを語る機会と手段を持たないアフガンの人々の象徴なのだ」と、監督は語っている。
舞台は冬のテヘラン。ラティフは、建築現場で買出しやお茶出しの仕事を担当している、喧嘩っぱやいイラン人の少年。ある日、事故で足を怪我した父親の代わりに働きたいと、14才くらいのアフガニスタンの少年ラーマトが来る。満足に言葉も話せない、ひよわなラーマトに、自分の仕事を奪われたラティフは、彼に嫌がらせをする。ところが、偶然に少年の重大な秘密<実は長い髪の少女だった!>を知った瞬間、彼の気持ちは180度大転換する。
少女の秘密を知った後の彼の行動は、私の予想を裏切った。私は、彼が彼女を責めると思ったのだ。でも一言も彼女に言わず、逆に翌日からおしゃれをして彼女が来るのを待つようになる。意外な展開。家族のため、男と同じ力仕事をしようと頑張る、彼女の健気さに心が打たれたのだろう。でも、恋心を告白することはできない。そうすれば彼女はここにいられなくなるから。
相手に重荷を与えない愛情表現
それを聞いたラティフは、今度はへそくりをはたいて、足を怪我したナジャフのために松葉杖を買い、働くために必要なIDカードを金に換え、建築現場の親方からだとそのお金をナジャフに渡す。最後までラティフは、少女や彼女のお父さんに対して、自分の行動を一言も言わない。自己主張をするのが美徳されている現代に生きる私の頭には、「なぜ?なぜ?なぜ?」の言葉がこだまする。
その答えは、監督のこの言葉の中にあるかもしれない。
「世界のどこかで罪のない人々が害をこうむることがあれば、私たちはその痛みをみんなで分かち合うべきです。この映画は、限界を知らない愛の物語です。愛にはあらゆる境界線を越える力があります。世界が戦争ではなく、愛によって支配される日を夢見ようではありませんか」
■『少女の髪どめ』
監督:マジッド・マジディ 主演:ホセイン・アベディニ、ザーラ・バーラミ
2001年/イラン 配給:日本ヘラルド映画
GWよりシネマライズにてロードショー
(テキスト:名護すえ子)