テクノポップ/アーティストインタヴュー

クラウディア・ブラッケン登場!!!(2ページ目)

“地獄からのABBA”とも形容されたプロパガンダの歌姫、クラウディア・ブラッケン登場!ZTT時代の話、そして、世界で初めて公表となるスクープ“プロパガンダ再結成”の構想まで!!!!!

四方 宏明

四方 宏明

テクノポップ ガイド

テクノポップを中心としたレコード蒐集癖からPOP ACADEMYを1997年に設立。2016年に『共産テクノ ソ連編』を出版。さらに、プロダクトリサーチャーとして、商品、サービス、教育にわたる幅広い業種において開発コンサルティングに従事。Twitter(hiroaki4kata)も随時更新。

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プロパンガンダ誕生

ガイド:
デュセルドルフでプロパガンダのメンバーと知り合い、加入することになったきっかけ、いきさつを教えてください。

クラウディア:

クラウディア・ブラッケン


メンバー全員デュッセルドルフ出身よ。同じくデュッセルドルフ出身のクラフトワークみたいなエレクトロニック・ミュージック に夢中で、しかもアナログサウンドが大好きだった。若い子たちはみんな、週末にやることがなくてつまらないからってバンドを組んでいたの。デュッセルドルフのみんながバンドを組んでいたわ。エレクトロニック・ミュージックにみんな夢中っていう素晴らしいムーブメントがあった。みんなお互いよく会っていたし。アーティストやミュージシャンたちがいつも集まっているアートアカデミーが通りにあって、(バンドをするっていうのは)なんとなくみんながやっていたこと、当時だったら映画を見に行くかバンドをするか、みたいな自然なことだった。

わたしとスザンヌもバンドにいて、あるとき、スザンヌがラルフとアンドレアの組んだ新しいバンドに誘われたの。そのあとスザンヌと一緒のバンドで歌っていたわたしにも声をかけてきた。全体的に遊びだったわ。そしたら偶然、クリス・ボーンっていう『NME』誌のイギリス人ジャーナリストがプロパガンダの初期のデモ数曲、すごくドイツ的で、歌詞も英語じゃなくて「Dr. Mabuse」もドイツ語で歌っていたようなデモを聴いてくれて。「Discipline」って曲があったんだけど、それはホントにマーチみたいな曲だった。すごくハードな音楽で、少しDAFみたいな感じだった。彼らもデュッセルドルフの出身で、似たようなサウンドだったわ。で、そのジャーナリストのクリス・ボーンがポール・モーリィと仲が良くて、ポール・モーリィがトレヴァー・ホーンと新しくレーベルを始めるってことで、クリスがポール・モーリィにデモを渡したのよ。

で、これもまったくの偶然なんだけど、トレヴァーがそのデモを聴いて、多分、彼が今まで聴いたことのあるサウンドと全然違って聴こえたんでしょうね。こんなサウンド今まで他に聴いたことないってことで、トレヴァーが5日間スタジオに招待してくれたのよ。もう素晴らしかったわ。ホント、すごくラッキーだった。敏腕プロデューサーがスタジオに呼んでくれてわたしたちの曲を聴いてくれた。で、「Dr. Mabuse」をすごく気に入って、ただ、「インターナショナルなバンドになるならドイツ語で歌っていたらダメだ。もっと大きな視野を持って歌ってみたら?」って言ったの。全てはそこから始まったのよ。彼は想像力をもう一度スパークさせて、あの、ものすごく、ものすごく本当にダークなレコードを作った。彼のサウンドの歴史からみて最もダークな時期だったんじゃないかしら(笑)。「Dr. Mabuse」はわたしたちにとって宝くじに当たった、みたいなものだったわよ。デュッセルドルフのみんなは不思議に思っていたわ。わたしたちより才能のあるアーティストが他にもたくさんいたから。
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