ゲイと同性の目は厳しい
研究生:特に違和感があったのは、“ゲイと同性の目は厳しい”をコラム全体の落としどころとする内容です。女性アイドルやアーティストにとって、同性の目への意識が不可欠なのは納得です。しかし、日本のミュージックシーンにおいてもゲイシーンが重要なのだと“言い切ってしまう”論調には疑問符が付きます。 確かに欧米のゲイシーンはディスコやハウスの認知・普及に大きく貢献した事例を持っていますが、この影響力をそのまんま日本に当てはめてしまうのは少し強引すぎやしないかと…。Perfumeがマドンナやカイリー・ミノーグ(ゲイシーンでの大人気)なみの存在になるとは、さすがにまだイメージできません(笑)。
先生:
僕の疑問符はゲイを持ち出すことではなく、Perfumeはゲイの人たちに認められないような論調の方です。実際、Perfumeがよくかかり、スタッフが踊ってくれるゲイバーが大阪だけでも二件はありますからね。でも、僕の知る限り、アイドルが好きなゲイの人たちは多いし、Perfumeが好きなゲイって、一般層よりも多いと推定します。このあたりはぜひ統計調査をして証明したいです。 Perfume対談にもぜひ、ゲイの人が参加してほしいです。
研究生:
で、妹沢さんのコラムに話を戻しますが・・・洋楽を得意分野とする彼女からすれば、“ゲイと同性からの評価”はワンセットが大前提なのかもしれません。僕のこの発言も「“本場”を知らないパフュヲタのチョロ男が騒いでるよ」程度でしょう。が、このコラムの強引かつ安易な論調から滲む「欧米シーン(=本場?)至上主義」への反発は、洋楽も邦楽も、オルタナティヴ・ミュージックもヒットポップスも、すべてをフラットに楽しんでいたい「音楽ファン」としてですね。
さらにコラム全体からは、「評価軸の始点を欧米にしておけば、とりあえず大丈夫」といった、洋楽ロックがスノッブなオサレツールとして機能していた時代に生きた人間の打算(勘違い?)も垣間見えます。その意味では保守的なロック至上主義に満ちた内容と言えるかもしれませんね。
先生:
研究生も助手と同じく、「ロッキング・オン」には影響を受けた世代ですよね。
研究生:
元ロキノン厨の僕が情けなく感じてしまったのは、原稿への記名も含めて、ロック評論家としてのイメージや持論をオヤジ雑誌にとって都合のいい形で利用されているところです。新時代のロックジャーナリズムは、オールドウェイヴなのを自ら認めて、オヤジワールドの価値観にもしっかり合わせてあげるお役立ちツールなの?と。 発注先のクライアントにかしづきっ放しの広告屋の僕からしても、そこまで割り切るのは、さすがにチョロすぎやしねぇかと思いますね(笑)。
彼女は実力ある音楽評論家なのですから、欧米ショウビズの常識へ安易に拠りかかることなく、オジサンたちに媚びてもいない、「自らの言葉」を以ってPerfume周辺を論ずるビシッとしたコラムを書いてほしかったですね。それにここまでアイドルファンの男性を断罪してしまったら、エコーベリーのボーカルを務めていたソニアに胸キュンしたモリッシーの立場がないじゃないか!とも思いました。
ただし、このようなロック至上主義・欧米シーン至上主義の論調って、助手さんが言うところの保守的ロック評論家たちの多くに共通するもの(こういったオジサン媒体に露出するのはレアケースかと思いますが)。 「週刊朝日」のコラムもその傾向が滲み出てしまっただけの単なる「媒介」に過ぎないとも思っています。
そして、このコンテンツで言われる「○○(←ロックとか欧米シーンとか)至上主義」があるように、「Perfume/中田ヤスタカ至上主義」もすでに存在しているようにも感じます。
先生:
僕も、Perfumeだけを崇拝する姿勢よりも、Perfumeをきっかけに自分の好きなものを発見してくれたらいいなぁと思っています。どちらにしても、至上主義や原理主義的なものは、聴き手の器を狭くすると思いますね。
研究生:
好きになったら盲目&まっしぐらなのは僕も同じですし、悪いことだともまったく思いません。ただし、今の自分自身がどこに立っているのかを無自覚なまま、その場のノリだけで相手をバッシングするのはダサい話。そして、それこそが至上主義の正体だと思います。Perfumeファンはそこにはまり込んでほしくはないですし、もちろん僕もそうならないよう気をつけていきたいです。
先生:
僕達も、「Perfumeを貶すなんて許せな~い!」みたいな姿勢は慎むべきですね。自戒も含めて、正当な批判には肯く度量が欲しい。
研究生:
ちなみに僕の立脚点は、「本当のヒットポップスが織り成すドラマが大好き」「音楽を狭いところに押し込められちゃ困る」「どうしてのっちは、あんなにイカしているのだろう」といったシンプルなところですが。
今のPerfumeは、この先そうそうお目にはかかれないだろう、スケールの大きな“ポップスにまつわるおとぎ噺”を紡いでくれていると感じています。そして、彼女たちのブレイクをきっかけとした、現在進行形の「シーン」に立ち会えているという感動もあります。だから、しばらくは妙な形でひっかき回さないでくれよーといったところですね。
もちろん、さまざまなノイズも含めたすべてが、ヒットポップスが紡ぎだす明と暗・・・それこそが、ドラマたるゆえんなのもわかりますが。