北欧問題
助手:さらに、ぼくが一番どうかとおもったのが「北欧には、あのレベルの音楽を自分で作る“普通”の女の子たちがけっこういる。何か言うなら、それを聴いてからにして欲しい」という部分です。 これこそがぼくのもっとも嫌いな、保守的ロック評論家の典型的な主張ですね
先生:
先ず、北欧音楽の一ファンの僕としては、“あのレベルの音楽を自分で作る普通の女の子たち”をぜひ紹介してほしいですね。誰でしょうね? Annieちゃんなら許す(笑)。バニラビーンズやME&MYという意見もありますね。
助手:
ME&MYって「Dub-I-Dub」の!懐かしい!って、たしかにそれなら許せますけど(笑)。
それにしても「自分で曲を作る」というのは、作品におけるひとつの要素でしかないはずです。自分で作った結果、すばらしい作品になる場合もあれば、自分で作らなかった結果、すばらしい作品になる場合もありえます。要素のひとつを取り出して良し悪しを判断するというのは、本当にナンセンスです。逆に言えば、そういう観点でしか作品を評価できなくなっていくんでしょう。そういう聴き方をしてるから「レディオヘッドが作ったから良い」「デイヴ・フリッドマンがプロデュースしてるから良い」みたいな話になるんですよ。その作品自体の魅力がどうかということよりも、誰が作ったのか?誰をターゲットにしているのか?どんな人が聞いているのか?という要素で判断しちゃう。よくないですね。
そもそも自分で作らないからダメなんていってる人は、ヒップホップは自分で楽器を演奏してないからダメって言ってるようなもんですよ。古臭いんですよ、感覚が。
Perfumeがどうこうということではなく、こういう音楽の聴き方や評価の仕方には異論を唱えざるを得ません。まぁ、Perfumeのブレイクによって、そういう古臭い閉塞感が少しずつ壊されていっているのもたしかなのですが、まだ残党がいましたね。
先生:
「snoozer」に続いて、熱く語りますね、助手。 ロック少年少女が陥りやすいロック至上主義というのは、未だかって健在なのが、本当に“繰り返す”感じです。
研究生:
助手さんの反論には僕もまったく同感です。自分自身の時代錯誤っぷりを自覚できない保守的なベクトルの論客たちこそが、ロックをポップミュージックから“特定世代にとっての嗜好品(ブルースやジャズへの一般的イメージと似たようなもの)”へと追い詰めている張本人ですから。
ただし、今回の「週刊朝日」の記事の場合は、編集サイドの偽悪的な原稿ディレクションに、妹沢さんが音楽評論家としてではなく“(単なる)音楽ライター”として忠実に応えただけと思いたいです。タイトルからすると、この特集の企画意図は「同姓同士の醜い内ゲバを、読み手のオジサンたちに笑ってもらう」。読んだ後、なんともいえない澱んだ気持ちにさせられるその仕上がりは、編集サイドのオファーに忠実に応えているのでは。それに彼女はその筋(ロッキング・オン系)ではとても著名な一線級の評論家。こんな埋め草ゴシップ記事の一本ぐらいどーでもよかったのかなとも感じました。
先生:
音楽評論家がゴシップ記事を書く事自体、別にかまわないと思うんですよね。ただ今回のケース、ロック至上主義から見下しているところが残念ですね。これって、とてもロックでない自己矛盾発言になりかねません。