テクノポップ/テクノポップ関連情報

MICABOX~お神楽トロニカ(2ページ目)

7月末野音であった『細野晴臣と地球の仲間たち』でオープニングを飾ったのがMICABOX。QUOTATIONS時代から神楽に至るまでMICABOXの三上敏視さんにいろいろ伺いました。

四方 宏明

執筆者:四方 宏明

テクノポップガイド

水族館レーベル

ガイド:
陽気な若き博物館員たち
QUOTATIONSとして世の中に出たのは、鈴木慶一さんが主宰した水族館レーベルの『陽気な若き博物館員たち』ですね。『陽気な若き水族館員たち』に続く、第2弾のレーベル・コンピレーションですが、参加のきっかけは? やはり、元はちみつぱいの和田博巳さんの繋がりだったのでしょうか?

三上:
はい、和田さんがいたからです。

ガイド:
アルバムには、「収穫の季節」と「ポーランド」の2曲が収録されていますね。特に「ポーランド」は好きです、ニューウェイヴなんだけど、ファンクでブルースな感じがあって異彩を放っています。バンドとして、この時期、目指していたものとかはあったのでしょうか?

三上:
曲を作った内海謙一はもともとベイカーショップ・ブギというソウル、R&Bのバンドにいて毎晩ディスコに箱バンで出ていたような人なので、もともとはブラックミュージックが下地にあります。でもそれに飽きてバンドを脱退して和田さんとQUOTATIONSを作ったので、最初は黒っぽい要素は出さないような曲作りをしていました。ニューウェーブの影響は大きかったです。でも、次第にまたR&Bが前面に出てくるようになりましたが。

QUOTATIONS~細野さんが参加

ガイド:
宝島
90年代初期は活動停止をされていたようですが、QUOTATIONSは細野晴臣さんが全ての曲に参加された『宝島』がリリースされましたね(はっぴいえんどの再来的な比喩もされていました)。細野さんとはいつ頃、どのようなきっかけで繋がりが出来たのでしょうか?

三上:
QUOTATIONSを抜けて東京に戻った和田さんが一時細野さんのマネージャーをやっていたので、僕はその時に知り合いました。84年くらいでしょうか。そのあと、僕がアイヌの歌にバックトラックを付けたDeep Forestのような曲を92年頃に作ったのですが、それを細野さんに渡してくれた人がいて、細野さんに認知され、93年の「ONONNO」という青森のイベントでアイヌ音楽のコーディネイトをした時から本格的なおつき合いが始まりました。

96年にリリースしたQUOTATIONSのミニアルバム『music from cool city』からはニューオリンズR&Bの感覚がメインになってきたのでニューオリンズ好きの細野さんが気に入ってくれ、98年の『宝島』では「演奏したい」と言ってくれました。95年から細野晴臣&環太平洋モンゴロイドユニットや細野晴臣&Ether Vibesのメンバーとして一緒に演奏していましたから、お願いするのは簡単でした。このアルバムでは、細野さんはベースではなくキーボードで参加してく れ、それだけでも珍しいのに、今までの細野さんの演奏ではなかなか聞くことの出来ないエモーショナルなオルガンプレイやアコーディオンが聞かれて細野ファンには必聴だと思います。
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