テクノカット
テクノポップと言えば、何はともあれテクノカットです。はい、当時ワタクシもテクノカットでしたーーー。ロック=長髪=不良といったイメージから脱却する時代のパラドックスです。
やはりYMOの三人がテクノカットであった事がテクノカットをメジャーに押し上げました。よく見ると、三人三様のテクノカットなんですね。
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東京ファッション・ビート |
クイズ番組『カルトQ』の超カルトクイズとして「テクノカットを考案した日本のヘアデザイナーは誰?」との出題がされましたが、答えは「本多三記夫」。本多氏は代官山の美容院「BIJIN」をやっていた美容師であります。テクノカットの由来については、カラー写真も豊富な文庫本、佐山一郎著『東京ファッション・ビート』をぜひ読んでください。「刈りあげて、アジア」の項にて、本多氏にテクノカットについてインタヴューをしています。なお、「BIJIN」の命名は細野晴臣氏。
テクノカットは、YMOのデモテープと人民服でインスパイアされたアヴァンギャルドな髪型として本多氏によって考案されたとあります。YMOデビューの年、1978年ですね。YMOカットと呼ぼうとする動きもあったらしいですが、結局本多氏がテクノカットと命名。
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ヨーロッパ特急 |
ジャケから辿りますと、YMOデビュー前にリリースされたKraftwerkの『ヨーロッパ特急(Trans-Europe Express )』(1977年)が最初のテクノカット・ジャケと認定します。特に、ラルフ・ヒュッター(右端)のモミアゲは完璧にテクノカットです。
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東京キケン野郎 |
身近なテクノカットの人として忘れてはいけないのは、お茶の間にテクノポップを広めたジューシィ・フルーツのベーシスト、沖山優司! テクノカットとメガネというテクノ少年の定番であります。
余談になりますが、YMOのアートディレクションを務めたグラフィック・デザイナー、奥村靫正氏によるとチェッカーズの髪型(チェッカーズ・カット)もテクノカットの延長らしいです。