オリコン1位までの軌跡
amazon.co.jpにあるCDは、ジャケ写からリンクできます。(amazon.co.jpにない場合、海外のamazonや他の通販サイトへ)O-ZONEのアルバム『DISCO-ZONE~恋のマイアヒ~』が2005年8月22日付でオリコン一位になるとは、予想していませんでした。8月24日にはDVD付版もリリースされます。洋楽ファーストアルバムの1位獲得は、ポール・サイモン、t.A.T.u.、Utada(これはちょっと洋楽とは・・・)に続く4枚目らしいですが、かなり意外ですね。もっと売れていてよさそうなアメリカやイギリスのアーティストが居そうなんですが。東欧的旋律も感じられるユーロディスコ系のO-ZONEがヨーロッパで受けている事は知ってはいたのですが・・・侮っていました。
ちょっと時系列を辿りましょう。
▼2003年にルーマニアでO-ZONEのアルバムがヒット。
▼2004年初めにルーマニアのHiduciiによるカヴァー・ヴァージョン『DRAGOSTEA DIN TEI』がイタリアでヒットし、ヨーロッパ各地へ飛び火する。
▼2004年春になり、オリジナルのO-ZONEも注目を浴び始め、ヨーロッパ各地でシングル『DRAGOSTEA DIN TEI』、アルバム『DISCO-ZONE』共にメガ・ヒット。
▼2004年10月頃から「DRAGOSTEA DIN TEI」の音源を使い、巧みに空耳をAA(アスキー・アート)で表現したマイヤヒー・フラッシュが出現する。その後も空耳フラッシュは増殖を続ける。
▼2005年3月2日にavexより日本盤『DISCO-ZONE~恋のマイアヒ~』が発売される。プロモーションとしてマイアヒ・ティシューが配られる。
▼2005年4月に『SMAP×SMAP』の人気コント「ホストマンブルース」で木村拓哉と稲垣吾郎が「恋のマイアヒ」にあわせて踊る。
▼2005年7月15日に来日したO-ZONEが『MUSICステーション』に出演し、フラッシュをバックに歌う。
▼2005年8月22日付でついにオリコン1位となる。
モルドバって?
O-ZONEが生み出したモルドバは、旧ソ連に属し、ルーマニアとウクライナ(悩殺系美女トリオのバイアグラの出身地としても有名)に挟まれた小国。モルドバ語が公用語ですが、ルーマニア語と実質的には同じ言語で、同じ語族でイタリア語に非常に近いらしい(どれだけ近いかは分かんないですが・・・)。今回、Hiduciiによるカヴァーが先にイタリアでヒットしたというのも納得がいきますね。カヴァー乱立!
ちなみにお姉ちゃん系Hiduciiだけでなく、「DRAGOSTEA DIN TEI」のカヴァー・ヴァージョンは、ドイツやフランスを中心に2004年に雨後の竹の子のようにリリースされています。Haiducii「Dragostea Din Tei」
DJ Dragostea「Dragostea Din Tei」
Audiosmog「Dragostea Din Tei」
Bangman「Ra la la」
Cauet feat. Mopral「Argent-argent」
Grupo Mamey「Dillo Dillo Tu」
Fancy「Dragostea Din Tei」
Latino「Festa no Apê」
Frank Lars「Nur ma' so」
Le 6-9「Le Poulailler」
Lisa Aberer「Unsichtbar」
Massimo Gargia「Ma Ce Ki? Massimo」
Antonia「Wenn der Hafer sticht」
Die Schlümpfe「Zauberschule」
どうしてブレイクしたんでしょう?