元祖メガネ・ロッカー
このところリヴァイヴァルしている極太黒ブチセルメガネですが、ルーツ of メガネ・ロッカーとも言えるのが、バディ・ホリー(Buddy Holly)。1936年にテキサスで生まれ、1959年にアイオア州にて飛行機事故により僅か22歳の生涯を閉じる。同州では、彼のかけていたメガネが後に発見される。2枚組コレクション『The Buddy Holly Collection』(1993年)。ビートルズへの影響の大で、ポールはバディの楽曲著作権を全て買い取ったほどである。古くは、Stiffと契約し、ニック・ロウの弟分的存在としてパンク・シーンとも関わったエルヴィス・コステロ。バディ・ホリーをリスペクトし、バディ型メガネにてバディの再来とも言われたコステロです。こちらは、比較的初期のヒット曲を集めた『The Very Best Of Elvis Costello』(1999年)。
パブロックへの回帰的アルバム『King Of America』(1986年)では、珍しくラウンド型のメタル。
アウトテイク、リミックス、ライヴヴァージョンを収録した『Cruel Smile』(2002年)ですが、こちらの方がメガネがバディですね。メガネ映画キャラと言えば、オースティン・パワーズですが、映画「オースティン・パワーズ・デラックス」では、バート・バカラックと「恋よさよなら」を歌っていましたね。
元祖めんたいロックとも言えるサンハウスを経て、鮎川誠はシーナ&ザ・ロケッツとして1978年にシングル『涙のハイウェイ』でデビュー。和製コステロは鮎川誠というのが僕の中では定説ですが、コステロの前座をこの時期していました。その後は、テクノファンならご存知のYMOとの活動。『真空パック』(1979年)に続くテクノ路線の『チャンネル・グー』(1980年)・・・シーナの舌っ足らずのヴォーカルがキュートな「浮かびのピーチガール」は、ガーリー・テクノポップの金字塔です。
バンドで飯が食えない時は、モデルしていた鮎川誠の初ソロ・ライヴアルバム『Kool Solo』(1982年)。ほんなこつ久留米弁はロックやけん!
さて、次はどんなメガネ・ジャケ?