――告知だけされていますが、セカンド・アルバムが¥ENレーベルからリリースされる予定だったのですよね。曲はどの程度まで完成していたのでしょう?
目鼻がついていたのが、5~6曲ぐらいですかね。リズム取りが終わっていたのが、4曲、仮歌を入れたのが3曲ぐらいだったと思います。
――これって、もう完全にお蔵入りなんでしょうか?
そうですね。でも、おもしろかったですけど。あの頃は、方向性を変えて、全部英語でオリジナルをやろうとしていたのですよ(『MISPRINT』でも「Glad I'm Not Left Alone」「Crash Kids」は、全曲英語・・・つまり、その延長線上)。でも、レコード会社があまりいい顔をしてくれなかったので、細野(晴臣)さんに相談したんですよ。
――手塚眞さんが監督の映画『星くず兄弟の伝説』(1985年)〔ジャケ写は、レア度が高いシングル盤〕で赤城さんは、自身のヴォーカル曲も含めて4曲を提供されていますね。これは、どういうきっかけで?
フィルムスをやる前にVAT 69というバンドをやっていたんですが、当時近田春夫さんが良くしてくれたんです。近田さんがソロを作るので(1980年にリリースされた近田春夫ソロ名義での『星くず兄弟の伝説』)、よかったら曲を書いてくれと頼まれたんです。
――その後も、『Fancy Dance』(1988年)や『TEO』(1996年)で手塚さんとはいっしょにされていますが、これが最初の出会いだったのですか?
そうですね。
――赤城さんの作風には、ファンタジーや幻想というのがありますよね。その辺は、かなり手塚さんと共有されているような気がしますが。
確かにそうかもしれないです。彼も、ファンタジーでもリアル・ファンタジーやダーク・ファンタジーなテイストが好きなんですが、一番深いところで共通しているような気がします。