ニュージーランド出身のデンマーク人、第2のデヴィッド・ボウイと呼ばれその将来を嘱望されたが、割とマイナーな存在のザイン・グリフのデビュー・アルバム『Ashes and Diamonds(灰とダイアモンド)』(1980年)。プロデュースもボウイの朋友とも言えるトニー・ヴィスコンティで、Ultravoxのドラマーであるウォーレン・カンも参加。2作目の『Figvres(技と"u"ではなく"v"とスペル)』(1982年)には、ウォーレン・カンやケイト・ブッシュに加えて、高橋幸宏も参加。お返しに高橋幸宏のソロ・アルバム『What, Me Worry?』にもゲスト・ヴォーカルとして参加。
今年になって急に再発リリースを始めたZEレコードからリリースされたフランスのカジノ・ミュージックの最初で最後のアルバム『Jungle Love』(1979年)。実は4人組で、実際のところ彼らがどれほど美形かは不明なんですが、当時このジャケとテクノなトロピカル・ニューウェイヴ・サウンドには魅せられました。リード・ヴォーカルのGilles Riberllesは、元ロック系のジャーナリスト。ブロンディーのクリス・ステイン、トム・トム・クラブのスティーヴ・スタンレイやZE同朋のクリスティーナも協力。
◆『元祖!変態ディスコ』
最後はちょっと趣向を変えて、アイドル系で締めくくりましょう。70年代のティーニー・ボップの代表格と言えば、ベイ・シティ・ローラーズ(BCR)。BCRを脱退したイアン・ミッチェルは、イアン・ミッチェル&ロゼッタ・ストーンを結成し、クリームのカヴァー『Sunshine Of Your Love(サンシャイン・ラヴ)』をリリース。これが、1977年という時代背景を考えると、意外によく出来たエレポップ・カヴァーになっていて侮れないんです。調べてみると、BCRってメンバーが抜けたり入ったり、再結成したり激しいです。ちなみに、イアンの後釜はパット・マグリンでしたが、彼も後にパット・マグリンとスコッティーズを結成。
次回は、ニューロマを中心に美形のオトコたちを紹介。
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。