話をジューシィに戻します。この時期にテクノ歌謡という言葉が、広く使われていたかは不明だが、イモ欽トリオの『ハイスクール・ララバイ』より先んじて、『ジェニーはご機嫌ななめ』はメジャーシーンまで浸透した元祖テクノ歌謡と考えます。
既に歌謡曲にもテクノ的アレンジを取り入れた楽曲は存在していましたが、ミュージシャン的なアプローチとしてのテクノ歌謡(もしくは歌謡テクノ)のパイオニアです。ただ、ジューシィの場合、グループ・サウンズ、エレキ歌謡的な要素も強く、テクノ歌謡という言葉だけでは表現しきれていませんが。
ジューシィとしては、ベスト・アルバムも含めて計8枚のアルバムと(多分)13枚のシングル(左は『恋はベンチシート』ピクチャー・ディスク)をリリースしました。どれも、キッチュなジャケで楽しめます。どうしてもデビュー時のジューシィのイメージが強いですが、1982年にリリースされた『27分の恋』は、元Shi-Shonen、フェアチャイルドの戸田誠司との共同プロデュースによって製作された埋没した名盤です。
その後、イリアはソロとして2枚のアルバム(1枚は戸田誠司プロデュース)をリリース。お茶目な眼鏡のベーシスト、沖山優司は、ジューシィ在籍時の1981年に『東京キケン野郎』(元々はザ・ぼんちに提供した曲)という素晴らしいエレキ歌謡のシングルをリリース。数々のセッションにも登場し、1988年にはミニ・アルバム『HAKONIWA』をリリース。
また、MINT SOUNDからリリースされたオムニバス『Attack Of… Mushroom People』では、Kraftwerkの『Neon Lights』をカヴァー。一時は、元Urban Danceの成田忍とも活動していました。近田春夫率いるヒップホップ系Vibrastoneでも活躍。
ジューシィ・フルーツ、もう一度、ブラウン管に登場してほしいものです。
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