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J-POP研究~Part II モーニング娘。成功の9ケ条

日本経済は絶不調、不況、景気低迷、デフレの真っ只中ですが、(株)モーニング娘。は、未だに絶好調。ヒット商品が出ても、アイドル産業は、特にその短命さが弱点です。にもかかわらず、1997年11月3日のデビュー以来、購買層を拡大し、株価は高値安定。その成功のモデルを解明することにより、不況脱出のヒントが隠されているのでは? 日本の社長さん?

四方 宏明

執筆者:四方 宏明

テクノポップガイド

これからの記述は、あくまでも僕の想像と仮説であって、事実を歪曲している可能性もあります事をご理解ください。また、書いてある事をその通り実行して貴方の会社が、さらに低迷したり倒産したとしても、責任逃れをしたいと思います。

下図が、(株)モーニング娘。の現在の組織図であります。1997年4月27日に、ちょっと落ち目であった(株)シャ乱Qの社長、つんく(当時は♂が無かった)が社長に抜擢されてベンチャー・ビジネスとしてそれほど期待されないで発足しました。当初は、平家みちよ課が1課とモーニング娘。は2課と呼ばれており、1課は花形、2課はどちらかと言えば寄せ集め的でした。



ところが、2課から11月3日よりテスト販売された限定商品『愛の種』(英語で言えば、『Seed Of Love』 by Tears For Fears)は、予想を上回る反響により完売し、見事翌年1998年1月28日に『モーニングコーヒー』(『愛の種』とセット)に全国発売に至り、売れ筋ランキング6位となるヒット商品となりました。当時の社名は『(株)シャ乱Q女性ロックボーカリスト』という実体の無い紛らわしいものでした。モーニング娘。&平家みちよの『モーニング刑事(コップ)。』(この時は、まだ2つの課は同等に扱われていた。)のリリース直後、2課から発展したモーニング娘。事業部を核とする(株)モーニング娘。に社名を変更し、同時に東証一部に上場を果たしました。

その後、新人導入や突然の退職があったものの、1999年9月9日に発売された『LOVEマシーン』が、メガ・ヒット商品(1999年度の日経ヒット商品番付で西の横綱に選ばれる)となり、会社は課の増設戦略を打ち出していく事により、安定成長を持続しています。今や、(株)モーニング娘。はアイドル産業界のファースト・リティリング(ユニクロの会社)と呼ばれる、高成長優良企業と世間に認められるようになりました。

その成功の秘訣を解明することは、低迷する日本産業界にとっても有意義であろうかと考え、ここに(株)モーニング娘。の成功の秘訣、9ヶ条(そう、中澤定年後のメンバーの数にちなんで)を記します。ダイアモンド社から本として発売する要請があれば、前向きに考えます。
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