「島唄」への最初の一歩
『JAPANESKA』 THE BOOM 1990年、初めての沖縄 |
THE BOOMが「かわいいホコ天バンド」というイメージから徐々にはみ出しはじめた3rd.アルバム『JAPANESKA』。ここに収録された「ひゃくまんつぶの涙」で彼らは初めて沖縄音階を取り入れてみせ、ジャケット写真も沖縄で撮影しているのですが、既にワールド・ミュージック・ブームも終わっていた1990年には新味があるわけでもなく「新機軸で沖縄という素材を取り入れた」という印象しかありませんでした。
「中央線」、「からたち野道」等名曲揃いのこのアルバムですが、あまりに雑多で方向性もわかりづらく、「ひゃくまんつぶの涙」に至っては沖縄音楽を換骨奪胎しただけというような言われ方もしていました(当時は私もそう思ってしまいました)。
思えばこの「ひゃくまんつぶの涙」こそが、バンドやソロという活動形態にとらわれず様々な音楽のジャンルを飲み込みながら世界を股にかけ活躍していく事になる、最初の一歩だったのです。
ウチナーグチで沖縄発。島唄伝説のはじまり
THE BOOM 『思春期』 ボーナス・トラックとして「島唄(ウチナーグチ・ヴァージョン)」が追加された再発盤(2005) |
東京の若手ロック・バンドが沖縄でシングルを限定発売、民謡のようなメロディの曲を、しかも現地の言葉で歌っているという「事件」は当時としても衝撃的でした。そして、これを手始めに彼らはサンバやボサノヴァにも接近、矢野顕子やToninho Horta※との共演も実現していく事になります。
当時私は宮沢和史の故郷でありTHE BOOM発祥の地でもある山梨県は甲府市に住んでいましたが、地元出身バンドとして応援していた彼らが、その音楽性と活動のスケールをもの凄いスピードで広げていく様を見るのは、なかなか感慨深いものがありました。
※【Toninho Horta(トニーニョ・オルタ)】
ミルトン・ナシメントやパット・メセニーとの交流でも知られるブラジル人アーティスト。その美しいサウンドで奇跡の名盤との呼び名も高いアルバム『トニーニョ・オルタ』は必聴です。
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