認められた独創性
■セロニアス・モンク『ブリリアント・コーナーズ』セロニアス・モンク『『ブリリアント・コーナーズ』』 1956年作品。モダンジャズの綺羅星のごとき名盤が発表された50年代後半の中でも、一際異彩を放つ名盤。タイトルチューンを始め、難曲が多いが、聴いている分には親しみやすい。 1.ブリリアント・コーナーズ 2.バルー・ボリヴァー・バルーズ・アー 3.パノニカ 4.アイ・サレンダー,ディア 5.ベムシャ・スウィング |
特に本作『ブリリアント・コーナーズ』が当時のジャズシーンに与えた影響については、もっと高い評価がなされてもよいのではないか、と私は考えます。
タイトル曲である「Brilliant Corners」は曲の半分が倍テン(倍のスピード)になるという、ジャズ史上稀に見る難曲。アルトのアーニー・ヘンリーはもちろん(というと失礼な話だが)、オスカー・ペティフォード(b)、マックス・ローチ(ds)らも何度となく曲を見失ってしまい、結局、最終テイクは編集でつなぎ合わせたものだといいます。
それほど難しい曲だったにもかかわらず、モンクはレコーディング当日に「こういう曲をやるからよろしく」という感じで、楽譜すらまともに渡そうとしなかったという話。皆がミスを繰り返しているのを横目に「なに? 君たちプロじゃないの?」という表情で演奏を続けていたといいます。
ともあれ、結果的には本作はジャズ史上に残る名演奏となりました。特に、ソニー・ロリンズ(ts)の出来が非常によく、今聴いてもまったく古びるところのない、すばらしい緊張感を保った演奏になっています。(変わった曲であることに違いはありませんが)
変人? 「バップの高僧」のホントの姿
その後、ヨーロッパ、日本などでも高い評価を受けたモンクは、彼の生涯でもっとも大きな観衆を相手に演奏活動を行いながら、ジャズそのものが地盤沈下を起こしつつあった60年代を過ごしました。最晩年のモンクは、彼を若い頃からむしばんでいた精神の病に本格的に苦しめられることになり、演奏活動どころか、家族とパトロンであったニカ公爵夫人以外のほとんどの人間との接触を断つことになります。
客観的にはもっとも幸福であったであろうと思われた50年代後半~60年代においても、モンク自身は「バップの高僧」というキャッチコピーにまつわる、自身の神秘的なイメージについては否定的なコメントを繰り返しています。
おそらく、モンク自身が、自分の音楽に「不思議」や「神秘」を感じることはなかったのでしょう。むしろ自分のやりたい音楽を、やりたいようにやっていたという印象を強く感じます。おそらく、人間が「自分のやりたいこと」をホントにまっすぐにやるということは、「世界」からの逸脱を意味するのでしょう。いわば、奇人・変人こそアーティストの真骨頂ということができるかもしれません。
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