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懸賞に御利益があるといわれる神社仏閣 懸賞応募に願掛けはいかが?

懸賞をこれから始めようと思っている方や応募しているけどなかなか当選しないという方にお薦め。私が実際に訪れた宝くじや懸賞に御利益があるといわれる神社仏閣を紹介いたします。

執筆者:堂本 秀明

「宝くじ」の原点は、世界に目を向けると、今から600年近く前のオランダで、町や要塞の建設資金調達のために発行した「富くじ」が始まりだといわれています。
一方、日本の「富くじ」は、今から400年近く前の、江戸時代初期天正年間、摂津箕面(現在の大阪府箕面市)の瀧安寺が始まりだといわれています。

瀧安寺のある箕面市は、大阪府の北部に位置しており、瀧安寺までは阪急電鉄の利用が便利です。寺院としての歴史も古く、白雉元年650年役小角が箕面寺を建立したのが始まりといわれ、修験道の道場として有名。空海や日蓮、蓮如などもここで修行したといわれています。現在もなお、山岳信仰修験道の根本道場として、全国各地から修験者が集まり、大護摩法要が毎年4・7・11月に行われています。
交通/阪急電鉄「箕面」駅下車、滝道徒歩15分。

当時、瀧安寺では「富くじ」は、「富会」(とみえ)と呼ばれいました。正月元旦から7日までに瀧安寺に参詣した人々が自分の名前を書いた木札を唐びつの中に入れておくと7日に寺僧が唐びつを錐で3回突き、突き刺さった木札の3人を当選者とし福運の「お守り」を授けたのが起源といわれています。

当初は純粋に「お守り」として始まった「富会」でしたが、次第に金銭と結びつくようになり「富くじ」として町に氾濫するまでに至りました。
そして徳川幕府は、元禄5年(1692年)に禁令を出したのですが、その後も寺社にだけは建物修復費用調達手段の一つとして「富くじ」発売を許していました。これが天下御免の「富くじ」「御免富」と呼ばれるものになり、江戸谷中の感応寺、目黒の瀧泉寺、湯島天神の「御免富」が「江戸の三富」として有名です。

「富くじ」に関して、このような由緒由来のある瀧安寺ですが、本堂にまつられている弁財天は(滝の神格)は、わが国最古のもので、竹生島、江の島、宮島とともに日本四弁財天の一つに数えられており「箕面の富くじ」を始めた宝くじ発祥の寺といわれる由縁となっています。

関西からもう一つ、ガイドのワタシが住む地元和歌山県の南紀、田辺市にある闘鷄神社を紹介します。JR紀勢本線「紀伊田辺駅」から徒歩5分。


允恭(いんぎょう)天皇8年(410年)の創建。古くは新熊野鷄合大権現(いまくまのとりあわせだいごんげん)と呼ばれていたものが明治維新の折、闘鷄神社と改められました。
この神社の御祭神は、熊野三所神で「諸賭事勝運祈願」の御神徳があるといわれています。『源平盛衰記』によると由緒由来は源平が戦った時、熊野別当が源氏を白鶏、平家を赤鶏に見立てて戦わせたところ白鶏が勝ったため源氏側につき勝利をおさめたことから、武運勝負の神様として名が知られた神社です。
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