1993年、有馬記念当日。中山競馬場のパドックにテイオーの姿があった。やや薄曇りの天気にもかかわらず、その馬体は気品さえ感じさせるような光を放っていた。気高さ、美しさだけで他の馬を圧倒しそうなその姿は結末を予感させるものだった。しかし1年以上の休養明けでG1を制した例はそれまでなかった。そのことを知っているファンも半信半疑といったところだったのだろう。前年同様、鞍上に田原Jを乗せたテイオーは離れた4番人気に甘んじた。1番人気はウイニングチケット、ナリタタイシンとともに3強時代を築き上げたビワハヤヒデ、その手綱をとるのはかつてのパートナー岡部騎手なのも因縁めいていた。
レースは昨年の覇者メジロパーマーの逃げで始まる。同じく昨年2着馬レガシーワールドがそれを追う。ビワハヤヒデはそつなく好位をとり、4番手からの先行抜け出しの横綱相撲を狙っているようだった。それを影のようにマークしてトウカイテイオーは5番手を進む。
比較的淡々とした流れで3コーナーを過ぎ4コーナーへ。満を持した岡部騎手のゴーサインに応じてビワハヤヒデが精密機械のようにスパートした。誰もがやっぱりと思った瞬間、外から軽やかな脚捌きで1頭の馬が迫ってくる。トウカイテイオーだ。ビワハヤヒデの計ったような走りを嘲笑うかのように一完歩ごと差を縮める姿に全てのファンは息を呑んだ。
第38回有馬記念(G1) 芝2500m 結果
これこそが最強馬と言わんばかりの切れ味で半馬身キッチりとビワハヤヒデをとらえたところがゴール。一瞬静まり返る場内。次の瞬間テイオーと田原コールが響き渡る。
普段は勝っても沈着冷静でクールな田原騎手が、表彰台で見せた涙こそが帝王の証明だったのかもしれない。生涯成績12戦9勝、2着3着なしの3敗は全て脚の故障発生か万全でなかった時のものだ。最高のパフォーマンスともいえるラストランで父のつくった偉大なる記録にも匹敵する印象をファンに与え、トウカイテイオーは静かにターフを去った。
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