タッグを組んだ次の年にさらなる決定的運命的な出会いが訪れる。一緒に買い付けに行った小林師に「どーしても欲しい、どーしてもこれを買ってくれ」と言わせた馬との出会いである。多少は馬を見る目ができていた関口氏もそのオーラを感じたらしく、小林師と「これを売らんのなら(すでに購入を決めていた)他の馬もキャンセルや!」とかなりの強行姿勢で買い取っていったらしい。
その96年のダービー馬、フサイチコンコルドのことは十分ご存じと思うので省略する。しかしそのダービー優勝が、フサイチの重賞初制覇という強運には恐れいってしまう。ついでに言えば、持っていた単勝馬券200万円!そのうち100万円は頼んだ社員が額を聞き違って購入したそうだが、それだけでも5000万円以上の純利益をサラりと手にしたりしている。(スケールが違うと言えばそれまでだが、凡庸な私は“ついで話”に目が行ってしまうのだ)
だが、得意の絶頂にたった2ヵ月後に悲劇は待っていた。周到に準備された社内クーデターで株式会社メイテックの社長の座を引き降ろされたのだ。まさに晴天の霹靂だったこの騒動は「馬で会社、辞めました」と報道され、経済にはあまり関心のない競馬ファンさえも驚かせた。だがこれはダービー制覇のタイミングを利用した役員たちの策略だったことを関口氏は明言している。(外交機密費とやらで馬を買っていたどこかの官僚とはちょっとワケが違うようだ)
しかしそんな仕打ちにもメげず、97年には株式会社ベンチャーセーフネットを起ち上げ、さらなる飛躍を目指している。(実業家としての面白い逸話も数々あるのだが、画面がいくらあっても足りない)馬主人生では、新たなパートナーとなった田原厩舎とのフサイチゼノン皐月賞回避ゴタゴタ問題で、スポーツ紙を賑わしたのは記憶に新しい。そして昨年、フサイチペガサスでUSAケンタッキーダービーを制覇。もちろん日本人オーナーとして初の快挙である。
今後の馬主としての夢は、フサイチペガサスの仔で世界のレースを独占することだそうだ。目立ちたがりな性格とファッションで、アヤしげにも見えてしまうが、その裏にはしたたかな野心と変革への挑戦を秘めているのである。実業家としても、馬主としても『やったもん勝ちや』の精神でひたすら邁進し、夢を掴み続ける関口氏。信念とスタンスをぜったいに崩さないその姿勢を、ちょっと尊敬する。
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