圧倒的な強さで20世紀最後の年度代表馬の座についたテイエムオペラオー。<年間8戦8勝、全て重賞レース、うちG1で5勝>という記録を残されては文句のつけようもなく、シンボリルドルフ以来となる満票で2000年の年度代表馬に選出された。はやくから今年も現役続行を表明(最近、強い馬の引退が早すぎる)バリバリの活躍を期待されている。
テイエムオペラオーの名前は競馬に感心のない人でも一度は耳にしたことがあるはずだが、その冠名「テイエム」の呼び名は、オーナーである竹園正継(たけぞのまさつぐ)氏のイニシャルであることはご存じだろうか?今回は、この竹園氏のことを紹介したい。
竹園氏が競馬の世界と関わることになったきっかけはちょっと変わっている。それは昭和57年のこと、竹園氏は日本ダービーのテレビ中継をなにげに見ていた。その時の優勝馬はバンブーアトラスという馬だったのだが、その後行われた表彰式で竹園氏はビックリ仰天する場面に出くわしてしまう。なんと表彰されているのが自分の幼馴染みの後輩、岩元市三君(もちろんジョッキー)だったのだ。中学卒業以来、音信不通だった昔の友人の晴々しい姿を見てしまった竹園氏は「自分も頑張って会社を大きくして、馬主になってアイツと再開してやる」と決心したという。
昭和54年に鹿児島県でテイエム技研株式会社を起こしていた竹園氏は、その後の開発商品の大ヒットで小説『おおいなる野望』のモデルになるほどの成功をおさめる。そして昭和61年、念願の馬主免許を手に入れた竹園氏は、まっさきに岩元ジョッキーを訪ねて23年ぶりの再会を果たした。きっとその時はかつての旧友、竹園君の立派になった姿を見た岩元君がビックリ仰天したのでは...。(馬主は特権階級と言われており、その資格を得るのはとても難しいのだ)グウタラな私としては、ダービージョッキーの旧友に触発されてそんな発想をしてしまうのもすごいが、それを実行してしまうパワーもすごいものだと感心するばかりである。
その後この二人は、岩元氏が調教師に転身したのをきっかけに、調教師とオーナーという二人三脚の関係で一緒に喜びを分かち合える関係になっている。そして竹園氏が馬主になって14年が経った今、このコンビはテイエムオペラオーという最強馬によって競馬界を席巻するまでになったのである。もちろんここまで来るのに紆余曲折は多々あったのだろうが、この竹園氏は羨ましいくらい強運の星の下に生まれているようだ。
今年も明け3歳馬のテイエムオーシャンが牝馬3冠を狙おうかといった勢いだし、明け5歳のテイエムオペラオーも元気に(初戦は惜しくも4着だったけど)スタートしたことで、テイエム軍団のさらなる躍進が期待される。
そして今度は自前のテイエム牧場を持つことになった竹園氏、次の野望は九州産のダービー馬を送りだすことだそうだ。馬主になったきっかけがダービーだっただけに、その思い入れはきっとスゴいものがあるのではないだろうか。今まで九州産でダービーを制した馬はいないのだが、竹園氏にそう宣言されると実現しそうな気がしてくるから不思議なものだ。特に九州産の私としては応援せざるをえない雰囲気であり、その機会が来るのを今からワクワクしたりしているのである。
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