<渡海屋・大物の浦>
筆者、この段がとても好きである。この段の主人公は義経でも静でも弁慶でもなく、義経に壇ノ浦の海戦で敗れたはずの平知盛だ。木下順二作『子午線の祀り』でも、知盛と義経が対照的に描かれたが、知盛がやっぱりカッコイイのである。
義経が歌舞伎全体を見たときのヒーロー番付の東の筆頭とすれば、西はやっぱり知盛じゃないだろうか。どちらも戦上手で、片や兄との確執、片や崩壊する平家一族という強烈な問題を抱えている。
ここでの知盛は、能の『船弁慶』でも描かれたように、亡霊となって義経に復讐しようとする。能が本当の亡霊であったのに対し、歌舞伎(浄瑠璃)の知盛は、見た目を亡霊と偽って、自分が過去一度だけ負けた海上で義経を討とうという目論みを持った生きた人間であることだ。
そのために義経が必ず訪れるはずの大物の浦で船宿を営み、自分の家来の相模五郎に一芝居させて義経らを襲わせ、知盛自身が義経を助けたとみせかけて安心させるという用意周到。そこを全部、義経はお見通しだったというオチがあるので、この勝負、東の勝ちといったところか。
安心させたつもりの知盛は、「今晩は船出に絶好の日和だよ」と、嵐の夜を指定する。壇ノ浦で一度勝った義経が、そんな妙な話をうのみにするとは思われないが。義経をうまく騙しおおせた!と思い込むところが知盛の意外な面だ。戦上手とはいえ、やはり平家の御曹司、苦労知らずなところがあるのだろうか、かわいげというか。
その点、幼い時から親と話され、京、陸奥、そして関東から再び京、西国へと戦いながら放浪し続ける義経の方が、人間を見る目があったのかもしれない。ただ、義経は軍事センスはあっても、政治的能力が極端に欠けていたわけで。だから後白河院に利用され、だから兄貴に疎まれるわけで。知盛と義経、ちょっと似たもの同士かもと思うと、この知盛と義経が顔をあわせる段はそれだけでワクワクするのだ。