「以前、棒一本で浮いている人がいましたが、あの棒もない状況で浮いているようにみえるのをやってみたいと思っています。
以前錦絵か何かで、空中をさまよっている不動の姿を見たことがあって、『あ、これは初代や二代目がこの技術をもっていれば、きっと試みたのではないか』と思いました。それは新しいものをとりいれる市川家のスピリッツに合っているだろうと。
『千本桜』(四の切)での宙乗りを昨年やる前だったか、そのあとだったかは忘れちゃったんですけど。不動の絵のさまざまなものを見ているうちに、浮遊しているようなものを見つけて、『あ、これはアリだな』と。
『鳴神』や『毛抜』はすでに古典の狂言として磨き上げられたものですから、私ごときが変えていいものではない。『不動』も古い作品ですが、ストーリーらしきものはほとんど存在していない。とにもかくにも神々しい不動明王であることが大事だと思います。イリュージョンをもってしても、古典の狂言に見えるように、大薩摩(歌舞伎音楽の一つ)の中、不動明王が浮遊する演出を考えています。
明治のころ、電気照明が劇場に使われるようになってはじめて、照明をパッと明るくする演出の『チョンパ』とよばれる方法が歌舞伎に持ち込まれたように、新しい技術が歌舞伎に取り入れられ、それがゆくゆくは古典と思ってもらえるよう頑張りたいと思います」
「古典作品となるように」 |