(ユーモラスな?)恋路を見せてくれる江戸時代の役者達
この『染模様』、通称「細川の男敵討」。実は過去ずいぶんと上演されてはいるのだ。筋書きを見ると、初演は1712(正徳2)年の京都。布袋屋座。その後京都や江戸で何度か上演され、幕末には河竹黙阿弥もこの主題を扱った作品を物している。衆道(男色)という内容や、本火を使うなどの演出面でも上演が難しく、直前の上演が昭和10年。71年ぶりの「敵討」なのだ。ところで、気になったのが初演のころの役者達。
正徳2年の京都では、村山平十郎という実悪の役者と、片岡小六郎という若衆方の役者が、それぞれ友右衛門と数馬に該当する役を務めている。その後、1754(宝暦4)年江戸中村座でも、中村助五郎という、舞台で相撲を取る役など個性的な芝居であたりを取った役者が友右衛門(に当たる役)であり、実悪というポジションで評価されている。数馬に当たる役には佐野川市松という若衆方役者である。
『歌舞伎評判記集成 第二期』第五巻(岩波書店)。助五郎と市松 |
面白いのは、村山平十郎や中村助五郎という、今でいえばちょい三枚目入った感もある、それも実悪の役者が友右衛門を務めていることだ。立役という、ほぼ二枚目、それも正義側のポジションではなく、敵役をやるかと思えば実はまじめな事情を抱えた人間、あるいはリアルな芝居も得意な役者だったということらしい。(実悪という役柄の性格は時代によって変わっていく。現行の歌舞伎なら仁木弾正や武智光秀あたりの、国政を揺るがすような謀反人の役を指すことが多い)
平十郎のその頃の評判に
「悪人がたに是ほど芸のある人を見ず」
「芸にはあらで常を見るがごとく。狂言苦にならずしてむぞうさに見へてかろく」
「今風の悪人がた」
「万人共にすく風なり」
「芸こなれ当流若手の実悪」・・・
なんて評されている。
若いのにリアルでこなれた芸風で、芝居好きが伝わってくるような役者、そして愛嬌もあり男女ともにうけるような役者だったのだろうか。
中村助五郎がつとめた宝暦4年の芝居では、曾我物語の世界を入れ込んだ初春狂言となっていて、工藤祐経の狩場の絵図を割腹して腹にしまいこんだりしている。
その後、友右衛門役は立役の大きな役へ、数馬役は女形の役者がつとめることが増えていく。
そんなこんなで、染五郎が友右衛門を、恋に溺れるちょいとユーモラスな青年侍に造形したのもうなづけるなあと、勝手に解釈してしまうことにする。