初演は昭和61年。その後平成7年に東京で再演され、平成10年の大阪松竹座公演から8年ぶりの上演となる。初演時の『ヤマトタケル』のスピリッツはそのままに、演出は現代の役者と現代の観客の嗜好に合わせ、現在のスーパー歌舞伎の舞台技術を駆使した、ニューバージョンとなる。東京では10年ぶりの上演である。
市川右近は初演の『ヤマトタケル』に参加したときのことを語り始めた。忘れかけていた初心に戻り、猿之助不在のスーパー歌舞伎の舞台の今後へ思いを馳せる。
右近「初演は僕が大学を卒業した年でした。2月に総稽古があったんですが、卒業試験と重なり、時間をずらしてもらうなどしたこともあります。つまり社会人一年生として触れた大きな仕事です。
原作は電話帳くらいある厚いものでしたが、なんとか3時間半に収めたんですね。ですがそこに収まりきれなかった「伊吹山のヤマトタケル」の章を、後日パルコ劇場で若手中心でやらせていただいたときに主演を勤めました。その翌年に二十一世紀歌舞伎組が誕生したんですね。そういう意味でも自分の原点の芝居でもあります。
まさに師匠のライフワーク的作品です。この作品を受け継いでいけるか、食いつぶすのか(笑)、スーパー歌舞伎存亡の危機です。今年でなくなるのか、来年もやらせてもらえるのか、頑張らねばならないと思っています。
今回稽古の前に、師匠と段治郎君と僕と三人で、軽井沢(猿之助の別荘兼稽古場のある地)で初演時のメイキングのビデオを観ました。歌舞伎の一ジャンルを開拓するため出発する、まさにヤマトタケルの気持ちだったことを思い出しましたね。ビデオ観ると、もうみんな目がいっちゃってるんですよ(笑)。一緒に飛び降りる気持ちというのか。
でもそれから19年間経つうちに、そのときの気持ちが薄らいできてしまった。初演を思い出して、それを受け継いで、次代に橋渡していきたい。」
タイプも経験も異なる二人の個性を楽しめる。 |