さらに團十郎はこんなメッセージを息子に伝えた。
「テレビでも今年は勉強させてもらった。伝統というものは先輩の舞台をなぞることが必要だと思う。自分の思い通りにやるのは楽しいが、なぞる、という地味で苦しい経験が大事なこと。当分はなぞることを心がける海老蔵でいてほしい。辛いかもしれないが」。
襲名披露の演目について團十郎は、
「私と本人と、会社とで何度も話して、誰が出演できるかということも考えて決定した。まずは市川家の狂言を並べてみた。うちのは堅い演目ばかりなのでやわらかい物もどう入れるか、半年以上かけて選んだ」と経緯を語った。
また来年5月歌舞伎座昼の部の、襲名披露最初の演目『暫』については、本人の意思を尊重したという。
新・海老蔵初めての権五郎景政を見せてもらわないことには確かに落ち着かない。だが純歌舞伎と舞踊と新歌舞伎に新作と並ぶと、やはり時代ものや義太夫狂言もほしかったなというところであるが、この辺は今後のお楽しみということで。まずは12月新之助の『実盛物語』を楽しみにしたい。
中央が新之助の祖父・十一代目團十郎。「海老様」といえばこの團十郎。熱狂的な人気だった。
「海老蔵として父・團十郎と一緒の舞台に立てることも喜びです」と新之助が言うと、
團十郎は、同じ舞台で海老蔵と團十郎が同座するのは「天保年間以来じゃないか」と補足した。
海老蔵という名跡は市川家にとって非常に重要な名前であることはご存知のとおり。海老、蝦というイメージも、江戸時代から「お江戸の飾り海老」など、江戸の強さや勢い、めでたさなどを象徴する記号ですらあった。
名跡を追っていくと、初代團十郎(1660~1704)の幼名、二代目團十郎の後名、四代目團十郎の後名、六代目團十郎の前名、七代目團十郎の後名、八代目團十郎の前名・・・と続き、十一代目團十郎の前名、現團十郎の前名となっている。
安永二年、中村座の『御摂勧進帳』の同じ舞台に市川海老蔵(四代目團十郎)と五代目團十郎が親子で共演している。また七代目團十郎は天保三年に、長男海老蔵に團十郎を譲り自らは海老蔵を名乗り、このとき『助六』の幕で改名の口上を述べている。七代目とはあの「歌舞伎十八番」をまとめた團十郎である。