初っ端の真っ暗な舞台は八丁畷の墓場。そして飛び交うのは怪しく光る骨、骨、骨。それらが引き寄せられて、中村勘九郎演じる岩藤の亡魂となる(そういえば今月の国立劇場の猿之助歌舞伎『競伊勢物語』でも、終盤巨大な骸骨が使われていたっけ)。
勘九郎は今回、望月弾正、梅の方、又助と岩藤の四役。公家悪めいた弾正の白塗りという悪の姿の勘九郎は、普段歌舞伎座などであまり見られないだけに得した気分だ。だが最もリアリティを感じさせてくれたのは世話場の鳥井又助役だった。又助住家の坂東弥十郎のしっかりじっくりした芝居運びも頼もしい。
世話場の構図の面白さ
そう、見所のひとつはやはり又助住居の場だ。
住家の上手障子屋体に求女、のれん奥には安田帯刀、下手では盲目の志賀市が琴を弾く。又助はその中で腹を切る。この又助、どう考えても、忠義には厚いが直情でやや短慮(といえば、誰かを思い出す。忠臣蔵の勘平)。
志賀市は目が見えないため兄の窮地に気づかない。その志賀市が弾く琴の音はこの場のBGMとして皮肉なまでに美しい。この悲しくもある種不思議な光景を、同情しつつも覚めた眼で見ているのは中村座の観客のみ。この構図はなかなか完成度が高いと思うがいかがだろうか。
もうひとつの見所はやはり岩藤の亡魂。
平成中村座独特の、本舞台に比べ長めの花道を存分に使っての演出や、クライマックスで捕り手たちが大勢飛び込む本水など、舞台機構を存分に使っっているのは見ごたえたっぷり。さらに、串田演出おなじみの舞台裏完全ぶち抜きで、クレーンに乗り岩藤のリアルな亡魂が客席頭上にまでふわふわと登場。明るい昼の日差しの中だけに、白昼夢のような不気味さが漂った。