木下川堤(きねがわづつみ)
さて本所から京成線に沿うように北上し、向島をちょっとだけ離れて先に荒川土手に行きます。ここには木根川薬師(浄光寺)があり、ここの側の土手といえば木下川堤。これも南北の『かさね』が与右衛門に惨殺される堤です。
実際には大正時代に木下川は荒川放水路工事のために分断され、堤も川底になっています。
木母寺 梅若塚
隅田川にそって向島に戻ります。黙阿弥の『都鳥廓白浪』俗に「忍ぶの惣太」はいわゆる隅田川物のひとつで、梅若伝説が元になったドラマです。
所作事『隅田川』では、班女の前が吉田家再興のために、行方不明となった嫡子松若を、次男の梅若丸と探しますが、この二人もはなればなれとなります。実は吉田家の家臣である忍ぶの惣太は向島で桜もち屋にやつして松若の行方を捜しますが・・・。
現在もこの芝居にも登場する長命寺の隣には桜もち屋があります。『桜姫東文章』でもお馴染みの界隈です。
『隅田川』は、謡曲「隅田川」に基づいて作られた清元の所作事です。人買いにさらわれた梅若を探しながら、ついには梅若が死んだことを知り、その霊を弔う班女の前。梅若伝説は、歌舞伎だけでなく、さまざまな音曲、そして文芸に残されています。
三囲神社(みめぐりじんじゃ)
さらに隅田川を言問橋方面へ下ると三囲神社があります。
『隅田川続俤』の法界坊。こじき坊主の法界坊はひそかに惚れている女・おくみをかどわかそうと、この三囲の土手で待ち構えますが・・・。
三囲という文字通り、3つの鳥居が三角を形とる鳥居も珍しいものです。
今でも神社裏に廻ると薄暗く、当時かどわかし事件が実際にあったという話も納得させられてしまいます。
次回は11月ごろ、浅草・柳橋から両国についてご紹介します。
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