松緑(しょうろく)という、この緑の季節にふさわしい大名跡の襲名披露興行が華々しく行われている。夜の部の「口上」では幹部役者が勢ぞろいし、2代目松緑や3代目(辰之助)との関わりを、しみじみとかつ可笑しく披露する。「三之助」の一人、尾上菊之助も初々しく口上を述べた。ここに新之助の顔がないことは残念だったが。
印象的なのは尾上菊五郎の口上だった。いつもの襲名披露興行の口上では、当該役者との関わりを面白く語ってくれる菊五郎だが、今月はおかしみの中にも松緑の将来を深く思いやる言葉があった。
祖父と父をなくした新・松緑の父親代わりであった菊五郎は、「あちら(=プライベート)の方は器用なのかどうかわからないが、こちらの方(=芝居)は器用とはいえないかもしれない。だが役者にとって器用じゃないことは魅力となることもある」と新・松緑を励ました。
「器用じゃない」・・・。幼いころからの新・松緑の舞台を見つめ続けてきて、新・松緑の役者としての将来を真摯に考え続けてきた立場だからこそ言える言葉なのだろう。
新・松緑が襲名披露のインタビューとして、いろいろなメディアで必ず強調している言葉がある。
「『(寿曽我)対面』に出るとき、菊五郎のお兄さんが『どうせ誰もお前がうまいとは思わないのだから、できることをやればいい』と言ってくれた。それですごく気が楽になった」というくだりだ。これ以上厳しい言葉もない。だがこれほど、新・松緑にとって憑き物かなにかを落としてくれるような言葉もなかったのだろう。
その菊五郎の口上から感じられる、新・松緑との関係が、そのまま次の幕の『勧進帳』に最もふさわしいアペリティフとなった。
弁慶:松緑
義経:富十郎
富樫:菊五郎
亀井:團蔵
片岡:秀調
駿河:正之助
海尊:松助
といった顔合わせである。
舞台正面での富樫との問答が始まると、異常なくらい張り詰めた空気が劇場を包む。この緊張感はおそらく弁慶、いや新・松緑の心情そのままなのかもしれない。驚くほど初代辰之助に声が似てきた。力強く張りのある声にツヤも加わった。
台詞のリズムはやや一本調子で、それも客席に緊張感を強いる原因ではある。だがこの緊張を、まるで敵役の富樫が、逆にほぐしてやるように応じる。富樫に負わされた立場を保ちながらも、弁慶の必死の覚悟を全部受け止めるつもりの姿勢。それはそのまま、菊五郎と新・松緑の関係に重なった。富樫にはすべて最初からわかっている。わかっていて詮議し(するふりをし)、問答し、番卒達にも弁慶一行が関を通ることを納得させるかのようにふるまう。そのように見えてくる。
無事逃げ終える義経達。幕外で弁慶は舞台に向かって深々と礼をする。そしてあらためて客席に向かって礼をする。自分を育ててくれた舞台そのものに、そして客に対して、自らの決意を表明した瞬間に見えた。菊五郎の言うように決して器用ではないのかもしれない。だが平凡な言葉だが「頑張れ!」と心から念じてしまう何かを持っている弁慶だった。眼の離せない、そしてどんどん変わっていきそうな予感を与える・・・これも役者の魅力だ。「器用じゃないのは魅力でもある」。菊五郎はそのことを言っているのだろうか。
引っ込みの姿も力強く、向かう先は奥州ではなく、今後の松緑としての役者人生をにらんでいるかのようだ。
汗が流れる。隈ももう溶けている。新・松緑の弁慶の眼に光るものを見たような気がした。
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