風邪やインフルエンザが流行るこの季節。みなさん今年はいかがでしたか。そうこうしているうちに花粉の季節。風邪に花粉といえば、マスクがお約束です。これはもちろん現代の話。
歌舞伎ではなぜか病人は病鉢巻(やまいはちまき)をします。紫色の縮緬の鉢巻を額に左に結び目を作ってしめて、だらりたらしたり、箱結びにしたり。これが病人のしるしです。それは、身体の病気のこともありますが、なぜか気の病を含んでいることが多いようです。
まず「保名(やすな)」。『芦屋道満大内鑑』に連なる清元の舞踊劇で、恋人・榊の前(さかきのまえ)を失った安倍保名(あべのやすな)――安倍晴明の父――は、形見の小袖を抱いて野辺を狂い踊る。玉三郎や仁左衛門のすらりとした美しい肢体がこの鉢巻をして、そこここに咲いた菜の花を追うように踊る様は、美しく哀しい情景です。
次が美少年・俊徳丸(しゅんとくまる)。義理の母に愛された宿命の少年です。『摂州合邦辻』(せっしゅうがっぽうがつじ)のヒロインは、玉手(たまて)御前。彼女と年齢の変わらない二人の息子のうち、後継ぎに決まっていた弟・俊徳丸を亡き者にしようとする兄の計画を知ってしまう。玉手はそれを阻止すべく、俊徳丸に恋をしかけ、毒酒を飲ませて顔を変えてしまうような業病にしてしまう(す、すごい話だ)。
俊徳丸は玉手の実家にかくまわれ、玉手の父は娘に激怒、ついには刺してしまう。その瞬間を待っていたのは誰よりも玉手だったのだが……。この不遇の息子・俊徳丸も、玉手の命がけの機転が奏効するまでは、病鉢巻をしめており、見るも恐ろしい顔色の変わった業病を表しています。
そして「寺子屋」の松王丸(まつおうまる)。彼も一応病気です。『菅原伝授手習鑑』の「寺子屋」は2月の歌舞伎座にもかかっている有名な義太夫狂言です。松王丸は自分の息子を主の息子の身替りに差し出し、首実検をする。その最中も、咳き込み、あたかも病であるように見える。
また彼は、菅原道真を裏切って就いた現在の主人である藤原時平に、病を理由に暇願いを出している。だから首実検が済むまでは、みかけも病鉢巻、刀杖でゆっくり歩く。だが首実検が済めば、普通の健康な足取りに戻るわけです。ここではどうしても「病」であると、時平にも、その手下の玄蕃(げんば)にも、そして観客にも思わせておく演劇上の必然があるわけです。
それはなぜなのか。芝居を実際に観るときのお楽しみですのでここでは省略します。実はそこに、松王丸の、息子の命を懸けるほどの倫理観が表現されていくことになります。病鉢巻が松王丸の策略、知略を象徴しているともいえます。
一本の縮緬の布きれ……なかなか意味ある小道具なのです。
(上の絵は、上記の登場人物と直接関係ありませんが、写楽画『花菖蒲文録曽我』のおしづです。娘を遊女に差し出す零落・憔悴した妻女の様子が分かります)
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