14日(月)の『SMAP×SMAP』(CX系)は稲垣吾郎君の復帰で高視聴率を稼ぎました。筆者もずっと観ていましたが、やっと現われたのがほとんど最後の10分間くらい。引っ張られました。は、いいとして。吾郎君の流した涙に注目が集まりましたが、現代ではもう“男泣き”は珍しくなくなった感があります。歌舞伎では、意外に男泣きの場面があります。さてどんなツボにはまると歌舞伎のヒーロー達は泣いてしまうのでしょうか。
“男泣き”と聞いてまず登場するのが松王丸でしょう。二月の歌舞伎座は『菅原伝授手習鑑』。「寺子屋」で松王丸は、主人への忠義のために、自分の息子の首を身替り首として差し出します。
寺子屋を開く武部源蔵は、自分が預かっている菅原道真の息子・秀才の首を打つよう厳命を受けている。身替りをたてることを考えるだろうと松王丸は先を読み、秀才の代わりに自分の息子を打たせることを思いつきます。そこで松王丸は急遽、自分の息子・小太郎を、同じ寺子屋へある日突然通わせます。
予測通り息子は身替りとして源蔵に首打たれる。息子が立派に秀才の身替りになったことを聞き、妻とそれを喜び、自分の算段がうまく運んだことを喜びます。息子を身替りにし、秀才を助けたことで、過去の自分の道真への不忠義に報います。
しかし、その悲しみは抑え難く、弟・桜丸に話が及ぶに至って号泣します。その激しい涙の理由は何か。むろん弟への思慕は口実で、本心は息子への思いがあふれてのことと思われます。昔の話とはいえ、なぜ自分の息子を差し出せるのか?という根本的な疑問を感じつつも、心動かされずにはいられない場面です。
そして忘れてはならないのが『勧進帳』の武蔵坊弁慶。彼は主である源義経を金剛杖で散々に打ち据えます。それはもちろん義経も承知の上の仕打ちであり、安宅の関を越えるため、関守の富樫の眼を欺くための芝居ではありますが、弁慶にすれば泣く思いであったでしょう。
その後、富樫の疑念を解いた後、義経に平伏し謝ります。義経は手を差し出し、弁慶に感謝しこそすれ、遺恨などに思わないということを優しく語り掛けます。それを聞いて弁慶はさらに感動します。居並ぶ四天王の面々も思わずもらい泣き。細くきゃしゃな、そして白塗りの義経と、大柄で豪胆な勇ましい弁慶の風貌。その大きな弁慶が、松葉目をはさんで、小さな義経の前でさらに小さくなって反省している様が哀れで、ホロりとさせられます。
松王丸と同様、息子を身替りにした思いに、出家し、泣き崩れるのは『一之谷嫩軍記』「熊谷陣屋」の熊谷直実。一月歌舞伎座では幸四郎が演じています。最後の、幕外で、法体になった熊谷が「十六年は一昔。夢だ夢だ」と語り、まるめた頭をなで、置いてきた妻・相模や息子への思いを断ち切るように、自分の半生を捨て去るかのように、涙にくれながら引っ込む様は感動的です。舞台によっては、本当に役者の眼に光るものをみることもあり、それが余計に感動を誘います。
他に、俊寛や由良之助に勘平、他にも泣いていそうな男たちは結構いそうです。自分の感情と義理にはさまれたところで涙しているようです。
世話物では、時代ものよりも個人的な理由で涙するようです。人情にほだされて、親子・兄弟姉妹の情に感謝して、あるいはものすごく悔しくてなど、もっと分かりやすい理由で男泣きしていることが多いようです。
いずれにしろ、観客は、見た目屈強な、頑固そうな、むくつけき、男たちが声を忍んで泣かずにおれないその気持ちに共感し、義理と人情にはさまれた立場に同情し、我とわが身の人生と重ね合わせ、ついおもわずもらい泣きしてしまう。芝居の中の男の涙は、そんな効果を放ちます。
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