木村拓哉演じる堀部安兵衛について、ちょっと調べてみる。
堀部安兵衛武庸(たけつね)、旧姓中山安兵衛武庸は、新発田藩士中山弥次右衛門の長男として寛文10年(1670)、新発田に産まれる。新発田藩の藩祖に父母の家系をたどれる、由緒正しい家庭に育つ。だが安兵衛が13歳の時、父弥次右衛門は城内の火災の責任をとらされ浪人し、後に病死した。
元禄元年(1688)、安兵衛は18歳。江戸へ。(「高田馬場の決闘」は講談でも有名)。さらに赤穂藩士・堀部弥兵衛から堀部家の養子を請われ、堀部安平衛となる。
赤穂浪士の中でも血の気の多い人として知られる。刃傷事件後、江戸へ下り、いわば武闘派として暗躍する。江戸に集まった仲間・大高源吾、原惣右衛門らと、なかなか動き出さない赤穂の大石達に業をにやし、自分たちだけで討ち入り決行を画策するのである。大石内蔵助は彼らを押さえ、なだめるのに苦労したことだろう。
討ち入りを果たす前に、疑心暗鬼に陥る浪士や血気はやる浪士達の分裂、内部対立が、大石の最初に超えるべき問題だったのはよく知られるところだ。
江戸武闘派の代表格である、安兵衛。剣の使い手でもある熱血浪士。過去、いろいろな役者が挑戦してきた。若若しいがちょっと短慮な性格というところでいつも似たようなキャラクターになりがちな役でもある。
内蔵助が冷静に沈着に、浪士を組織化し、念入りな討ち入り計画を案ずるのと対照的である。
さて、木村拓哉さん、どんな安兵衛を見せてくれるのか。
歌舞伎ファンなら特に、見逃せない!
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