江戸時代、奢侈禁止などさまざまな規制を受けながらも生き残ってきた歌舞伎。だが第二次世界大戦後の占領軍による統制には屈するしかなかった。

総司令部は日本の占領中に歌舞伎の検閲を徹底して行った。上演に当たって松竹が歌舞伎脚本を全文英訳して提出した資料がワシントンの国立公文書館に残っているという。『菅原伝授手習鑑』の「寺子屋(てらこや)」のように、総司令部が強権発動して上演を停止させたものも中にはある。むろん封建的忠誠心をあおるような芝居や戦意高揚の内容は「上演まかりならぬ」というわけである。

「熊谷陣屋」もその筆頭であった。しかし「寺子屋」も「熊谷陣屋」も、他の”戦意高揚”にしても、歌舞伎の傑作中の傑作なのである。武家社会や儒教思想を踏まえながら観るべき芝居であるし、またそれらを知らない現在の我々すら感動するような層の厚い「人間ドラマ」なのである。だがそのような理由が当時の日本で通用するわけはなかった。

ところで当時活躍していた歌舞伎役者の名前をみてみると――

七代目松本幸四郎(まつもとこうしろう)
初代中村吉右衛門(なかむらきちえもん)
六代目尾上菊五郎(おのえきくごろう)

――など、名優達ばかりである。中でも吉右衛門と菊五郎は「菊吉時代」と呼ばれるニ大スター。菊五郎が踊りや世話物を得意とし、吉右衛門は時代物を得意とするライバルでもあった。

ところが総司令部の検閲や上演禁止の憂き目に遭うのは時代物ばかり。吉右衛門の得意とする演目ばかりだったのである。

その吉右衛門を「救った」ともいえるのが、フォービアン・バワーズという男だ。来日当時28歳の陸軍少佐である。最高司令官ダグラス・マッカーサーの副官として日本語通訳を務める側近であった。彼はまた熱心な歌舞伎ファン、歌舞伎の研究者でもあった。上演を規制されていた歌舞伎の全演目に対する取り扱い改善のために東奔西走したのがバワーズなのである。彼なければ歌舞伎は今のような形で残っていたかどうか、伝えられてきたかどうか。

このバワーズ少佐、初代吉右衛門を崇拝していたという。彼にとっては、シェイクスピア芝居の名優、ローレンス・オリビエのような存在だったらしい。逆に吉右衛門にすれば、まさに救世主のような存在だったろう。戦後バワーズが来日した折、病に倒れる寸前の吉右衛門は舞台で熊谷を演じたという。

こんなエピソードを年頭に観るのも楽しい。が、この芝居はやはり泣けてしまう。旅立つ熊谷の胸にはぽっかりと暗黒の空洞。残された相模もまた正気ではいられない哀しみの連続。

「僕は泣きますね。泣けるようになりました。以前は、なかなか泣けなかったけれども、やっぱり五十を過ぎてからですね……」

当代の中村吉右衛門は最後の幕外(まくそと)で、法体となった熊谷の引っ込みについてそんなふうに語っている。

<参考文献>
『歌舞伎を救った男』集英社
『吉右衛門のパレット』新潮社

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